ミリアリアはディアッカの部屋の窓からずっと空を眺めていた。
何もかもが人工物のプラント国家。それでも空は美しい。
軍事施設内のディアッカの部屋は二人部屋でベッドもふたつ置かれていたが、ディアッカはミリアリアを放そうとはしなかった。
慣れないプラントでの生活を思えばミリアリアはひとりでゆっくりと休ませるべきなのだろう。
ディアッカにもそれは解かっているのだが、なぜかミリアリアが傍にいないと今度は自分が落ち着かない。
「・・・また空を眺めてるのか?よく飽きないもんだな」
ディアッカはそう言って窓辺にもたれるミリアリアの肩を抱いた。
「もうすぐ雨の時間になる。身体に毒だからそろそろ窓も閉めた方がいいぜ」
ミリアリアはその言葉に頷くと、そっと窓を閉め目線を空から窓枠へと移した。
「お茶にしよう。知り合いからミルクレープを貰ったんだ」
ディアッカは半ば強引にミリアリアをテーブルに着かせると、見事な手さばきで紅茶を淹れる。
「あ・・・そんなことは私がやります」
慌てて立ち上がろうとするミリアリアを仕草で止めてディアッカは微笑む。
「・・・いいからそのまま座ってろ。あ、寒くはないか?」
「はい、大丈夫です」
テーブルの前でちょこんと座っているミリアリアは可愛らしい。
「ユニウス市まで行けばおまえの好きなコアラがたくさんいるんだよな。見せてやりたかったんだけどさ・・・」
「何をおっしゃるのですか。私は地球軍の捕虜ですよ・・・」
ディアッカの言いように、ミリアリアは寂しく笑った。
「・・・せっかくプラントまで来たのにさ?ゴメンな。もうどこへも連れて行けなくなっちまったんだ」
と、そこまで言ってディアッカは重く口を閉ざした。
「どうかなさったのですか・・・?」
しばしの沈黙の後、ミリアリアはディアッカの顔色をそっと窺う。
クルーゼ(3)
───話は数時間前に遡る。
「ディアッカ・エルスマン参りました」
「ああ、入りたまえディアッカ」
インターホン越しに促されるまま、ディアッカはドアを開けた。
「クルーゼ隊長、お呼びでしょうか」
ディアッカは訝しげに自分の上官の顔を見る。
今日は休日で、特に用事がなければこんな薄気味悪い上官の元に行くことなど勘弁してほしいものだ。
「うん・・・突然なのだがね?ザラ議長閣下より我らに討伐の任が下ったのだよ」
クルーゼは机上でコツコツと指をタップさせながらディアッカに告げた。
「・・・討伐?」
「そう。討伐だよ。あのラクス・クラインが反逆を企て、新造艦のエターナルを奪取して逃走したとの連絡が入っている」
「ラクス・クラインが逃走!?どうしてそんな!」
前評議会議長のシーゲル・クラインを父に持つプラントが誇る最高の歌姫ラクス・クライン。
そんな彼女が新造艦を奪って逃走しただなんてディアッカはすぐに信じることが出来なかった。
「無論私も俄かには信じられないのだが、証拠として映像も残っているのだから・・・まあどうしようもない。議長閣下のおおせの通り我らも出撃せねばならない」
「・・・出撃」
「そうだ。明後日4時をもって討伐部隊はその任に就く。勿論君にも出撃してもらうよ?ディアッカ」
クルーゼは口元に薄笑いを浮かべるとディアッカの顔をじっと見つめた。
「・・・ご命令謹んで拝命いたします!」
命令ならば仕方が無い。では準備がありますので・・・とディアッカがクルーゼの元を辞しようとしたとき・・・。
「ああ、そうだディアッカ。君にはもうひとつ伝えることがあったんだよ」
不意にそう呼び止められ、ディアッカは再び上官の顔を眺めやる。
「ディアッカ。本当にご苦労だったね。君もこうしてまた前線に立つ以上、もう自分のことだけで手一杯だろう?ほら例の捕虜の女の子だが・・・この際こちらで預かることにしたから明日中には身辺を整理して私の元に連れてきてくれたまえ・・・」
「・・・・・・」
「おや?どうしたのかね?君は早く前線に復帰したかったのだろう?そうしたらもう捕虜の世話どころじゃなかろうよ」
「しかし・・・こんなに急にどうして・・・」
「どうしてって私に言われても困るのだがねえ。まさか私だってこんな事態になるなんて思わなかったのだから・・・。それとも何かね?あの女の子を渡せない理由でも生じたのかディアッカ?」
「・・・!そんなことはありませんっ!」
心の内を見透かされたような気がしてディアッカは反射的に語尾を強く言葉を放つ。
「フフフ・・・まあそうムキにならずともいいだろう?君の気持ちも解からぬではないが・・・もう決まったことなのだから諦めたまえ」
「・・・解かりました!明日中には連れて参りますので宜しくお願いいたします!」
ディアッカは出来るだけ表情を面に出さないようにして今度こそクルーゼの元を辞した。
早歩きでコツコツと軍靴の音を響かせる。
どこをどう歩いて自室まで戻ってきたのかディアッカはほとんど憶えてなどいなかった。
**********
───おまえの処遇が決まったから明日の夕方までには自分の荷物を整理しておいてくれ。
大根役者のようにセリフを棒読みするが如く、ディアッカはようやくミリアリアに告知をした。
「・・・そうですか」
ミリアリアはカップをそっとソーサーに置き、ディアッカの顔を見つめなおした。
「では・・・あなたの任務もあと一日なんですね」
「・・・・・・」
「よかったじゃないですか。こんな捕虜の世話から解放されるのでしょう?もっと自由になれますよ」
ミリアリアは柔和に微笑むと、そっと静かに瞳を閉じる。
「・・・!」
そんな、何事にも無関心に見えるミリアリアの様子にディアッカはカッとなり、つい感情を激発させる。
「・・・ああ、そうだよな!おまえだってこんな男のオモチャから解放されるんだから願ったりだよなっ!でもさ?今度は本当に捕虜の収容所だったりしてなー!そしたらどうする?いろんな奴のオモチャにされるのって・・・怖くない?」
クククと口元を歪め、ディアッカはミリアリアをあざ笑う。怯えて泣き出したしたら抱いて慰めてやればいい。
だが・・・ミリアリアは何も言わず黙ったままだ。
忌々しい女だとディアッカは舌打ちをして、更に容赦ない言葉をミリアリアに浴びせかける。
「ここはプラント本国だぜ?ま、ナチュラルの捕虜でしかも女だっつーんだから!生きて帰れることはないさ」
ミリアリアは俯いたままディアッカに返事をする。
「解かっています。覚悟してプラントに来たのですから・・・生きてここを出られるなんて思っていません」
「ふーん?本当にそれでいいのかよ?」
ディアッカはつと立ち上がり、ミリアリアの顎をクイッと持ち上げて冷酷なまでに嘲笑する。
「だってあなたがおっしゃったんじゃないですか。おまえはもう地球には戻れないって・・・」
ミリアリアは瞳を閉じたまま口だけをパクパクと金魚のように動かして言った。
「私は捕虜です。もうそれ以外の何者にもなれないんです!こうして生きていることだって誰も知らないんです」
自分の顎を掴むディアッカの手を払い退けて、ミリアリアは席を立ち、くるりとディアッカに背中を向けた。
「荷物の整理をするんですよね」
ささやかな私物をひとつひとつ粗末な袋に入れ、ミリアリアはもうそれきり言葉を出さない。
「おいっ!待てよっ!」
強情な女だと思いながらディアッカはミリアリアの腕を引く。そして強引に振り向かせてその顔を覗いた。
───そして・・・。
「おまえ・・・」
ディアッカの言葉はそのまま宙を漂い空気に紛れて溶け込んでゆく。
ミリアリアの双眸からは大粒の涙が零れ落ちていた。ひと粒、そしてまたひと粒と───。
「もう・・・いいでしょう・・・?」
「え・・・?」
「あなたはもう十分好き勝手に楽しんだでしょう!捕虜を・・・私をおもちゃにして遊んだでしょう!」
大きく見開かれたミリアリアの蒼い瞳は真っ直ぐディアッカを見つめている。
「私はあなたの所から違う場所に移される捕虜・・・ただそれだけでしょう!自分の事は自分でよく解かっています。この先の未来なんて私にはありません。どこへ移されても私は捕虜のままで、あなたは監視員で・・・今日でその任を解かれる、ただそれだけでしょう?」
「・・・・・・」
「だったらもう・・・これ以上私に惨めな思いをさせないで下さいっ・・・!」
───それはミリアリアの慟哭だった。
いつか必ず訪れるディアッカとの別れ。
どんなに男を恋い慕っても自分は敵対する地球軍の、そしてナチュラルの捕虜でしかない自分。
眼の前の男はコーディネイターでZAFTの軍人。しかも裕福な家の出身。
所詮は捕虜とその監視員なのだ。慰み者の自分がいなくなれば男にはまた自由な時間が戻ってくる。
豪奢な美貌に相応しいコーディネイターの美しい女性と愛を語らい、未来を紡いでいくのだろう。
この想いは秘めたままで殺すと誓ったのだ。
だから・・・眼の前の男に気取られてはいけない。どこまでも無愛想な捕虜のまま別れるのだ。
しかし・・・そんなミリアリアの想いをディアッカはしらない。
いきなり敵軍の捕虜となった女の身柄を預けられ、ずっと監視を続けてきた自分。
監視員として不自由な時間を過ごす代償は捕虜となった女の躯。
物珍しさと好奇心で抱いたナチュラルの女は、ただ可憐であどけない華奢な少女だった。
こんな女と過ごす毎日も悪くはない。夜な夜な抱いてはその躯を堪能し、愉悦に浸る。
だが・・・いつも時間は強引にディアッカを現実の世界に引き戻した。
彼女は捕虜だ。いつか別れの時を迎え、違う時間を過ごし始める。所詮今だけの慰み者。そんなことは百も承知だ。
───ならば今だけ忘れろ・・・。
ディアッカはミリアリアの細い手首に口づけると、長い睫を静かに伏せた。
「オレも今だけは・・・おまえを捕虜として扱わない。だから・・・」
「・・・だから?」
「だからおまえも・・・今だけは捕虜であることを忘れろ」
言うより早くディアッカはミリアリアの腰を強く引き寄せ唇を重ねた。
「ミリアリア・・・。ミリアリア・・・」
ディアッカは何度も何度もミリアリアの耳元でそう囁いた。
「あ・・・」
消え入りそうな細いミリアリアの声が漏れる。
ディアッカの背中にそっと腕をまわすとミリアリアはそのまま深くディアッカの胸に抱き込まれた。
「ディアッカって呼んで。オレの名前・・・」
「え・・・」
「いいからディアッカって呼んでみて」
その言葉にミリアリアはまだ涙の乾ききらない大きな蒼い瞳をディアッカに向けた。
「ディ・・・アッカ」
「もっと呼んで」
「・・・ディアッカ・・・!」
ふたつの影がひとつに重なる。
人工の雨は定刻どおりに降り始めると、先程までの青空をほの暗い灰色へと変えた。
次第に強くなっていく雨音と、荒涼とした暗闇に覆われてゆく時間の中でふたりは互いを求め合い・・・それに応じた。
僅かに残された時間を惜しむかのように、影はひとつになったままいつまでも離れようとはしなかった。
(2006.9.13) 空
※ ようやく分岐点まで書き終えました。ここから話はふたつの方向に分かれます。
「ジ・エンド」と「ハッピー・エンド」なのですが、先に「ジ・エンド」の話から進めていこうと思います。
なので、次回は「アスタロト」をUPする予定。 重い話が苦手なかたは「ガブリエル」まで待っていて下さい。
しかし・・・私の頭で書ききれるのでしょうか・・・!頑張れ空!負けるな暗黒管理人!
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