魔界においては四大実力者のひとりに数えられているが、
真の実力は魔王サタンを遥かに凌ぐとまで云わしめる冷酷な貴人。
その美しさは比類なく、見る者すべてを魅了したと伝えられる。

「大公爵アスタロト」

それは魔界に君臨する陰の魔王の名前である───。






アスタロト







───ミリアリア。こちらはいいから君ももう休むがいい・・・。

素顔を見せぬ仮面の奥でクルーゼはミリアリアに視線を投げかける。
自分が攫っておきながら、これまでじっくりと彼女の顔を見た事は無かった。

(なるほど・・・あのディアッカが興味を持つだけのことはある・・・)

ミリアリアと呼ばれた少女はつい昨日までその身柄を部下のディアッカ・エルスマンに監視させていたのであるが、思うところがあって、というよりも当初の計画どおり今度は彼女を自分の手元に置くことにした。
美人ではないが愛らしい少女だ。クルーゼのように性愛は卓越してしまった人間でも思わず笑みを誘われる。

「どうだね?ディアッカは君に酷いことはしなかったかね?」

机に片肘をつきながら、クルーゼは偽りの優しさを見せる。
「あのディアッカ・エルスマン」がこの少女に手をだしていないなんて誰が信じる?
最初は物珍しさからちょっかいを出してみた・・・といったところなのだろうが、ミイラ取りがミイラになってしまったのは先刻のディアッカの態度から容易に想像が出来る。

「・・・エルスマンさまならとても親身にお世話をして下さいました」

顔を背けてミリアリアは答える。自然に頬が赤らむのを感じるが、それは精一杯虚勢を張って誤魔化した。

「せっかくディアッカに馴染んできたというのに・・・本当にすまないことをしたね。だが、彼も軍人なのだからまた最前線に復帰してもらわなければならないのだよ。かといって今更君を捕虜の収容施設に入れるわけにもいかないし、それではディアッカに預けた意味もなくなってしまう」

面白おかしくクルーゼはミリアリアに向かって話を続ける。

「この戦争ははっきり言って無意味なものだ・・・。ナチュラルだのコーディネイターだの・・・虚しいものだと思わないかね・・・?」

「・・・私にはよく解かりませんが、それでも殺しあうのは・・・今はもう嫌だと思います」

「うん・・・、そうだね。戦争が終われば君も大手を振ってディアッカに会える・・・」




**********




ディアッカは業務を終えて自分の部屋に戻っていた。
ガランとした部屋。
昨日まで窓辺に寄りかかり空を見上げていた少女はもうここにはいない。
上司の急な命令で少女を監視する任を自分が解かれたからだとは分かっている。だが感情はそれを認めない。
ミリアリア・ハウというナチュラルの少女は多くのものをディアッカに残していった。



彼女が部屋を出る時、手にしている荷物のあまりの少なさにディアッカは思わず声を上げた。

「たった・・・それだけ・・・?」

ミリアリアが持ち出したものは僅かに肌着の類だけで、以前ディアッカが買い与えてやった刺繍の道具も、プレイランドに行く為に用意したシルクのドレスや小物類も箱に収めてディアッカの前にそっと置いた。

「今度は捕虜の収容施設に入れられるのでしょう?そうなったら私物なんてきっと持ち込めないと思いますから」

淡々とそう話すミリアリアの様子はいつもと変わっていなかった。

「エルスマンさま。捕虜の私に細やかなお心遣いをありがとうございました。ご恩は一生忘れません」

ミリアリアはペコリとお辞儀をすると、大きな布をディアッカに渡した。

「何もお返しが出来ませんが、ベッドカバーを作りましたのでよかったら使ってください」

そう言ってミリアリアが差し出す布にディアッカは見覚えがあった。

(これだったのか・・・)

いつだったか、うたた寝をしている彼女が手にしていたそれを覗き見たことがあった。
「Dearka」と自分の名前が所々に縫いこまれていたパッチワークとかいう手芸の類。

「ああ。サンキュ。貰っておくよ」

ディアッカはミリアリア受け取ったそれを自分のベッドに掛けてみた。綺麗なものだと素直に思った。

「それと・・・もうひとつお願いしてもいいですか・・・」

ミリアリアは自分のポケットの中を探り、取り出したものを静かにディアッカの手のひらに乗せた。

「おまえ・・・これ・・・」

ディアッカの手のひらに乗せられたのは、以前ミリアリアから強引に奪い取って中身を覗いた銀色の懐中時計だった。
この中には彼女と恋人らしき男が寄り添う写真が収められていたはずだ。

「・・・収容所に入れられたらきっと没収されて中身まで調べられてしまいますから・・・それに私はもう地球には戻れないと思っています」

「だからって・・・どうしてこれをオレなんかに渡すんだよっ!」

「知らない人の手で処分されるくらいなら・・・あなたの手でどこかに捨ててもらえませんか」

「・・・嫌だと言ったらどうするのさ?」

この期に及んでなお意地悪くディアッカが言い放つと、ミリアリアは無言でディアッカを見上げた。

「私がどういう経緯でここに居るのか・・・知っているのはあなたと上司のかた。でも・・・死んだはずの私がずっとどういう暮らしをしてきたのかまで知っているのはあなただけです。これは私が生きていた証ですから・・・自分では捨てられないから・・・あなたにお願いしたいのです・・・」

「まあホントにご立派な覚悟だこと!ああ、いいぜ。お望みどおりどっかのゴミ箱にでも捨てておいてやるよ・・・!」

ディアッカは渡された懐中時計を無造作に軍服のポケットにねじ込むと、もう時間だといわんばかりにミリアリアの背中をトンッと叩いた。

無機質に閉まるドアの音。コツンコツンと通路に響く靴の音。
ディアッカは半歩遅れて自分の後を追う少女の行く末をボンヤリと思い描いていた。
ルールというものがある。
投降してきた捕虜はその身柄を保証はされた。ただし、それは表面上のことであって命さえ奪わなければ大抵の行為は見逃される。
ZAFTに限ったことではなくそれは地球軍も同じ筈だ。

───女性。しかもまだ16歳の可愛い少女が捕虜となって収容施設に放り込まれる。
そこから先のことは関係者以外知る術も無い。何が起こる?少女はどうなる・・・?
皆まで言わなくとも容易に想像できるのだ。無数の男たちに嬲られ慰み者にされるということくらいは。
つい今しがたまでこの少女は自分のためだけに存在する慰み者だった。
夜な夜な強引に抱き、その身を蹂躙し続けた。

(所詮捕虜になった女じゃないか・・・)

ディアッカの思考はそこで止まる。
いつもいつもそうだった。そこから先のことは考えないようにしていた。
ミリアリアは敵軍の捕虜でしかもナチュラルの少女だ。変に情をかけたりしたところで何がどうなる訳でもない。

(二ヶ月も一緒にいたからさすがに情が移ったのかねぇ・・・)

確かにミリアリアはとても可愛い。それは認める。
だからこそ、最後の夜くらいは捕虜ではなく「女」として彼女を抱いてやりたかった。

でも・・・本当にそれだけだったと言い切れるのか・・・?




灯の無い真っ暗な部屋でディアッカは己の所業を振り返る・・・。





**********





───君には私の身の回りの世話をしてもらおう・・・。

ディアッカに連れてこられたクルーゼの部屋でミリアリアはまず、そう告げられた。
傍らのディアッカが驚きのあまり声を上げそうになった。

「どうしたのかねディアッカ。そんな心配そうな顔をしなくてもいい。彼女は捕虜の施設に収容させないから安心したまえ」

フフフとクルーゼはディアッカを笑う。

(予想通りの反応だな・・・)

ディアッカ自身はどうやら自覚していないようだが、この少女の行く末をいたく気にしているのだ。
遊び慣れた男とはいえまだ十七歳の少年が、初めて無垢な少女を抱いたのだからその印象も強烈に違いない。
こうして少女を見る限り、ディアッカは・・・彼にしてはとても珍しいことだが、かなり少女を大切に扱っていたのが解かる。
もう少し傍に置いておけば自らの恋心も自覚できたことだろう。
だが、あえてクルーゼはその寸前でディアッカからミリアリアを引き離した。
自分の感情を持て余して悩み、もっともっと苦しめばいいのだ。
「恋だと」いや「恋なんかじゃない」と。
その眼の前で少女の名前を優しく優しく呼んでやる。
ディアッカはどんな感情を持つだろうか。嫉妬するか?それとも全てを諦めるのか?
昨日まで自分のものだった少女を他人に委ねるいう事の意味をその身をもって味わえばいいのだ。




サタンは知らない。

自分に仕える忠実な大公爵は同時に最も脅威的な存在になり得るという事実を。

パトリック・ザラはコーディネイターこそが人類の頂点に君臨するものだと信じて疑わない。
だが・・・コーディネイターとて所詮は人間。滅びてしまえばただの人類で括られる過去の存在。

クルーゼは笑う。

まもなく一切の「無」が訪れる。

人類など誰一人生き残れない氷の世界が近づいている。

実力者はサタンではなく彼の配下の大公爵アスタロト。身に纏う暗黒のマントが世界を覆う。





クルーゼは笑う。







魔界に君臨する、かの大公爵アスタロトのように・・・。














      (2006.10.4) 空

    ※ようやくお届けが叶いました。血の足りない頭ではどうも話がまとまらない。いや。ただ単に文才がないだけなのですがー(涙)
     
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