CE71年7月。
ラウ・ル・クルーゼ率いるクルーゼ隊は逃亡したラクス・クライン一派と強奪された新造艦エターナルを奪取するため、L4宙域に向かっていた。
ここにはかつて最先端の医療技術を擁したコロニー・メンデル等の残骸がある。
報告によればまだ稼動しているコロニーもあるらしく、どうやらラクス一派はそこへと逃げ込んだ可能性が高い。
クルーゼの鎮座する戦艦ヴェサリウスはいつでも攻撃できるように臨戦態勢を整えており、イザーク・ジュール。そしてディアッカ・エルスマンといったエース級のMSパイロットも出撃準備に余念がない。
なお、このヴェサリウスには捕虜となりディアッカに身柄を預けられていたナチュラルの少女「ミリアリア・ハウ」も乗艦しており、今はクルーゼの私室にその身柄を置いていた。
アスタロト(2)
ヴェサリウスの作戦司令室では今後の任務と、現状を把握する為のミーティングが進められていた。
クルーゼの後ろに控えていたミリアリアが資料冊子を配り歩く。
ディアッカはその様子を黙って見つめていたが、クルーゼからの視線を感じて慌ててミリアリアから目線を逸らした。
「ミリアリア。君は私の後ろで座っていたまえ。立ちっぱなしでは疲れただろう?」
元々が猫なで声を発するクルーゼの言葉は更に優しく、まるで恋人にでも語りかけるような言葉と仕草は周囲の人間を驚かせるに充分であった。
ミリアリアはコクリと頷き、クルーゼの後方に腰を下ろすとそれきり下を向いて黙っている。
クルーゼ隊の隊員らがミリアリアに向ける視線にはとても冷たいものがあった。
自分たちはコーディネイターエリートという自負がある。
こんな低俗なナチュラルの女を侍らせているクルーゼは何を考えているのであろうか。
つい先日までディアッカの監視下に置かれていたこの少女の存在に周囲はある種の想像を逞しく働かせていた。
まず、この少女と同衾していたディアッカの様子が明らかにおかしい。
以前は女性関係の噂も頻繁に上っていたディアッカだというのにナチュラルの少女を手にしてからそんな噂もピタリと止んだ。
やがてクルーゼはディアッカから少女を遠ざけると、今度は少女を自分の手元に置いたのだ。
男と女がひとつの部屋で同衾していれば当然疑われるのが肉体関係で、あのディアッカを夢中にさせたほどのナチュラルの少女にクルーゼが興味を持ったとしても別に不思議な事ではない。
しかし・・・そんな男を次々と手玉に取るミリアリアという少女は一体どんな女なのだ?
バカらしい。いや、自分も相手をしてみたい。そんな感情が隊員たちの間で蔓延している。
ミーティングは形式上つつがなく進行しているように感じられるが、水面下ではそれぞれの思惑が密かに蠢いていた。
重い沈黙が漂う中、ミリアリアはふと眩暈に襲われる。
過度の緊張はいまだ体調が思わしくないミリアリアには苦痛でしかない。
周囲に悟られないように必死で眩暈を堪えていたミリアリアであったが、限界を超えて遂にその場に崩れ落ちた。
その様子を見ていたディアッカが思わず立ち上がってミリアリアの傍に行こうとしたのをクルーゼが止める。
「私が連れて行くから大丈夫だ。諸君らにも命令内容は伝えたから今日はここで解散してよろしい」
クルーゼはそう告げるとミリアリアの身体をそっと抱き上げる。成熟した大人の男に抱かれるミリアリアは一層華奢で男の庇護欲をそそるには充分に見えた。
そんなクルーゼにディアッカは針の視線を投げかける。クルーゼの仕草ひとつにイライラしている自分がいる。
ヴェサリウスに同乗させるならミリアリアの監視員役は今まで通り自分のままでよかったはずだ。
「ああ、ディアッカ」
不意にクルーゼに呼び止められたディアッカは自分の顔から不快感を消せなかった。
「・・・なんでしょうか。隊長」
返事をするもののどこかに棘のある声になってしまう。
「悪いが、君は医務室に行ってこの娘のための薬を用意してきてくれないだろうか」
「それでしたら、医療班員にお任せすればいいと思いますが?」
「いや、君の方がいいだろう。なにしろこの娘の事だったら君は医師よりも詳しいだろうからね・・・」
クスリを笑うとクルーゼはミリアリアを抱いて作戦司令室から出て行った。
パシュッと閉まったドアの手前でディアッカはそのまま動かない。
そんなディアッカの横を同僚達がひとり、またひとりと、さりげなく通り過ぎていく。
「ディアッカ」
ポンと肩を叩かれてディアッカは我に返った。
「イザークか・・・」
ディアッカの横に並び立ったのは親友と云っても良いだろう懇意な仲のイザーク・ジュールだ。
「貴様・・・いい加減にしろっ!あんなナチュラルの女なんかどうでもいいだろうがっ!」
「はあ?おまえ何言ってんの?オレは別に何とも思っちゃいないぜ?」
「・・・とてもそんな風には見えないがな。俺には!」
「何が言いたいんだ?イザーク」
「あのナチュラルの女に未練たっぷりって顔しているぞ貴様!」
まったく不毛なやり取りだとディアッカは思った。
どうしてイザークがこんなにムキになって自分に向かってくるのだろう。理由が全く解からない。
「あのなあイザーク・・・ほら、あいつをプラントに連れてきたのはオレの一存だった訳だからさ?可哀そうな事をしちまったかなって・・・それだけだっつーの!」
「そうやって気にする事自体が未練っていうものじゃないのか」
「ああもういいからっ!とりあえず医務室に行け!とのご命令なんで先に行くぜ?OK?イザーク?」
ディアッカはクククと片頬を吊り上げると、通路に向かって歩き出した。
ひとり残されたイザークはディアッカに、そしてクルーゼにも不信感を募らせていた。
何もこんな時期に仲間割れを生じさせるようなことをしなくてもいいではないか・・・。
**********
───ミリアリアに使用する薬品の調合は把握している。
体調が悪い時には何を好んで食べるのかも、どうすれば楽にさせてやれるのかもディアッカはよく分かっていた。
ミリアリアはひと口サイズに切った林檎が好きだし、どうすれば楽になるのかは・・・それは己の胸に深く抱き込んでやればいいだけで、皮肉なことにどんな薬品を使用するよりも確実にミリアリアをリラックスさせてやれたのだ。
たとえ、それが捕虜となってから頼る者がディアッカしかいない状況下での産物だったとしてもだ・・・。
医務室から必要な薬品を持ち出し、クルーゼの部屋の前でディアッカは息を整える。
ひと呼吸おいてからドアホンに向かって自ら静かに名乗りで出る。
「ディアッカ・エルスマン、ご命令により捕虜の薬品をお持ちしました」
「ああ、ご苦労だったね・・・。入りたまえ」
例の猫なで声が聞こえた。
ディアッカはまた不快感を露にしたが、クルーゼの私室に入る前にその色は隠した。
「失礼致します」
軽く敬礼をした後、ディアッカはクルーゼに用意してきた薬品類を手渡そうとしたのだが、クルーゼはそれを拒絶した。
「ディアッカ。君に彼女の処置を施してもらおう。きっと手馴れているだろうからな」
そこまで言われてしまってはディアッカはクルーゼの命令に従うより他は無い。
ディアッカはミリアリアが横になっているベッドの傍まで歩み寄ると無言のまま点滴のチューブをミリアリアの腕に差し込んだ。
鋭い、だが瞬間的な痛みがミリアリアの意識を戻す。
(・・・・・・)
ミリアリアはディアッカの存在にすぐに気がついたものの、静かに瞳を閉じ、一言も言葉を出さない。
それはディアッカも同じで、ミリアリアと視線を交わしても、ただ黙々と処置を施す。
僅か数日のうちに、ふたりの距離は大いに隔たれてしまっていた。
もう、以前のように気安く言葉を交わせない間柄にディアッカは失望を余儀なくされる。
クルーゼのベッドで眠る少女はもはや他人であり、自分には何も関係ない存在である。
しかし・・・だからといって過ごした時間と記憶が消せる筈もなく、その記憶こそがますますディアッカを苛立たせるのだ。
そんなふたりをクルーゼは興味深く見つめている。
成人したエリートとはいってもディアッカはまだ十七歳の少年である。
どんなにクールさを装っていてもクルーゼのような策略家の前では意味を持たない。
(まるで稚拙な恋愛映画を観ているようじゃないか・・・)
クルーゼはニヤリと口元で笑うと、処置を施し終えたディアッカを退出するように命じた。
ディアッカもクルーゼの意を受け,、敬礼をして部屋を出た。
華奢で儚げな少女だとは思っていたが、クルーゼの前ではそれが尚更強く感じられ、同時にまた自分の立場の弱さに思い至る。
(もっと高みを目指したい!強い権限が欲しい!)
でも、それは何の為に・・・?
決まっている!全てはディアッカ自身の為にだ。
近く戦闘になるだろう。勝てばまた自身は一歩栄達の階段を登ることができる。
ディアッカがZAFTに入隊した意義はそこにこそあった。
評議会議員である父、タッド・エルスマンの地位を受け継ぎプラントの国政に参与する。それこそが彼の野望だ。
**********
───コロニー・メンデルに艦影を確認!数は三艦!うちひとつは不明なるも、他の二艦はエターナルとAAです・・・!
「ほう?アークエンジェル・・・」
クルーゼの顔が歓喜に包まれ、握った拳に汗が滲んだ。
自分が想定していたよりも事態は急速に進んでいる。
(どうやらこの娘にも役に立ってもらう時が来たようだな・・・)
再び眠りについたミリアリアを眺めながら、クルーゼは引き出しからディスクを取り出すと感慨深げにそれを見つめた。
時にCE71年7月10日。
ナチュラルとコーディネイター。
互いの未来を懸けた戦いは今、まさに始まろうとしている・・・。
(2006.10.23) 空
※長らくお待たせいたしました。アスタロト(2)をお届けします。
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