「商店街」と呼ばれる所には、大抵名物というものがある。
それは物であったり、記録であったり、時には職人技を披露する人間であることも珍しくない。
マーシャル諸島に属する小国家、オーブ連合首長国は国土の規模こそ小さいが、天然ガスや石油といった地下資源に恵まれているばかりではなく、四方を海で囲まれれているため、食料となる水産資源も豊富な経済大国としても名高い。
海に面した海岸の多くは環境の良い港に整備され、世界各国から様々な物が水揚げされてはいち早く商店街の店頭に並ぶ。
そんな活気溢れた商店街では今日もまた元気な声が所狭しと響き渡る。
もういちど、貴女様と一緒に海を眺めたいと思いますオレ。
「ねぇねぇミリアリア!ほら、あそこの魚屋の男の子かっこいいと思わない?」
そう言って赤毛のフレイはミリアリアの腕を強引にひいた。
見れば距離にして10メートル程離れた魚屋の店頭で、背の高い青年が嬉しそうにこちらに向かって手を振っている。
ミリアリアと呼ばれた少女は大きく溜息をつくとフレイの手を振り払い、無言で足早にその場を立ち去ろうとする。
「ちょっと待ってよ、あんた何をそんなに慌ててるの?」
「フレイには関係ない」
取り付く島も与えずにミリアリアはフレイから距離を置く。そんな矢先、大きな呼び声を掛けたのは魚屋の青年。
「あっミリアリアちゃん今帰りー?いいとこに来たねぇ!これからマグロの解体実演やるんだけど、どぉ?見ていかない?」
ミリアリアは魚屋の青年には目もくれず、そっぽを向いて返事をする。
「・・・結構です」
そんなミリアリアの冷たい態度もなんのその、青年はクククと口元を上げて楽しそうに言葉を続けた。
「あ、今結構って言った?ありがと〜!じゃあ見学していってくれるのね?」
「見学なんてしないわよこのバカ男っ!」
つい激昂してミリアリアは憎々しげに青年を怒鳴りつけてしまった。だがそれくらいで怯むような青年ではない。
「もう!つれないんだからミリアリアちゃんは!オレはバカ男じゃなくてディアッカっていうの!いいかげんそろそろ名前憶えてくれてもいいんじゃないかって思うんだけどさ?」
「・・・あんたなんかバカ男で充分よ!馴れ馴れしくミリアリアちゃんなんて呼ばないでよっ!」
「んなこと別にいいじゃない。ミリアリアちゃんはミリアリアちゃんだしさ?」
パチリとウインクを決めてミリアリアと呼ばれた少女にに笑いかけるこの仕草もいつものことだ。
その様子を黙って眺めていたフレイが口をあんぐりと開けて笑う。
「なんだ・・・あんた達知り合いだったの〜?」
意味ありげな視線をミリアリアに向けてフレイはニンマリと口の端を歪めた。
「そんなんじゃないわよっ!」
「まぁまぁ隠さなくてもいいってば!それにマグロの解体実演なんて面白そう!見ていこうよミリアリア」
ミリアリアは嫌悪感を隠そうともせずフレイの顔を睨みつけた。
「だったらフレイだけ見ていけばいいでしょ!私はイ・ヤ!」
「でも魚屋の男の子だってあんたに見てもらいたいような顔してるじゃないほら?男に華を持たせてやるのも女のつとめよ」
フレイはそう言うとミリアリアを魚屋まで引っ張ってゆく。
マグロの解体実演とは、マグロをまるまる一匹豪快に捌くのだが、これには熟練した腕と力が要求され、人前で実演するに至るまでには相当の経験を必要とする。よって一般には店主やそれに次ぐ経験豊富な者が実演してみせることが多いのであるが、この魚屋ではまだこの道の熟練者とは到底思えないディアッカが実演してかなりの人気を博していた。事実上の看板男と断言してもいいだろう。
なるほど、看板男たるディアッカは、フレイが先ほど評したとおり実に精悍な容貌の美青年だ。豪奢な金髪をオールバックにし、更に捻り鉢巻でしっかと固めているものの、かなりの癖毛らしく、額にはウェーブのかかった髪がくるりと弧を描いてかかっている。
身長はに190センチ近くあるだろうか。色黒で彫りの深い引き締まった顔立ちに、これまたすっきりとした、でも少々垂れ下がった紫色の瞳とそれを縁取る長い睫。
魚屋の看板男というよりはよほどグラビアアイドルかファッションモデルこそが天職であろうが、真っ白なTシャツからスッと伸びたしなやかな筋肉質の腕に更に透けて見える胸板の厚さはスポーツマンのそれを思わせるのに充分で、更にたちの悪いことに、彼の声はまた艶のある綺麗なテノールだったりするものだから、声を掛けられた女性は皆呆然と見惚れてしまう。
「ねぇねぇ奥さん!今日はお刺身なんてどぉ?ハマチのすっごい上物があんのよ!ほら!まるで漁師が奥さんのためだけに釣ってきたようなモノでしょ?買っていかなきゃ漁師が泣くよ」
などと声高にご婦人方を寄せ集めては店頭の魚を売りさばく。まあそれは見方によっては商売熱心だと言えることだからそれは許せる。
しかし・・・他の客に対しては、奥さんとかお嬢さんとか声を掛けるくせに、いったい何処で聞き憶えたのかミリアリアのことだけはやたら名前を連呼する。
「あれ?ミリアリアちゃん帰っちゃうの〜?サーモンがダメなら秋刀魚もあるよ〜!」
なんてもう勘弁してほしい。名前を呼ばれる度に他の客の視線がミリアリアひとりに集中するのはこのうえもなく恥ずかしい。
急いで魚屋を後にするも、ディアッカの声はこんな調子でミリアリアの姿が見えなくなるまで続くのだからたまらない。
商店街の中でも1、2を争う規模の大きなこの魚屋は品揃えも豊富で鮮度も上々。当然ミリアリアも常連客だったのに、ディアッカがミリアリアを名前で呼ぶせいで最近は迂闊に近寄れない。
それにしても・・・目敏い奴だとミリアリアは思う。今日は同僚のフレイも一緒にいるから大丈夫だと思ったのにディアッカはしっかりミリアリアの姿に気がついていた。しかも好奇心満々のフレイの存在が裏目に出て、マグロの解体実演を見ていかなければいけないなんて。
名指しされたこともあってミリアリアとフレイはちゃっかりと解体実演コーナーの最前列、いやディアッカの目の前を陣取っていた。他の客が笑いながらふたりに場所を譲った格好だ。
「そんじゃ今からマグロの解体即売会始めまーす!今日この場にいるお客さんがたは運がいいよぉ!これだけ上物のマグロってなかなか水揚げされないんだから」
ディアッカはニッコリと微笑むと、おもむろに解体用の出刃包丁を取り出し解体作業に取り掛かる。このとき、先程のおちゃらけたディアッカの表情は既に無い。所々でマグロについての解説を交え、額に少し汗を浮かべながらディアッカは黙々とマグロを捌く。
ディアッカの見事な手さばきに、さすがのミリアリアも我を忘れて見入ってしまう。
解体したマグロは手際よく小分けにしてトレイに乗せられ、隣では他の従業員が販売準備を始めていた。
幾許かの時間が流れてディアッカがマグロを捌き終えると、周囲からは感嘆の拍手が沸き起こる。
「兄ちゃんカッコいいねぇ!今日は彼女もいるから余計頑張っちまっただろ?」
「いやぁ彼女だってこんなイイとこ見せられたらもう一度惚れ直すよきっと」
周囲からは無責任は言葉がほいほいと投げられ、ディアッカはその都度頷いてはこぼれんばかりの笑顔を見せる。
「やっぱりさぁ、男って彼女次第で頑張っちゃう生き物だもん。今日なんかマジでオレ解体実演燃えたからね?」
嬉しそうにミリアリアを見やるディアッカはまるで純真な少年のようだ。
ちゃっかりディアッカの彼女にされてしまい、ミリアリアは不満を抱きつつもその一方ではディアッカに対しての認識が変わっているのを認めざるを得ない。
マグロを解体しているディアッカは、普段の軽薄な印象からあまりにもかけ離れており、文句なしに男らしかった。
(ふん。あんな顔見ちゃったら少しは見なおしてあげるわよ・・・)
憮然とした表情を崩さないミリアリアの隣ではフレイが切り分けられたマグロを品定めしていた。
マグロの解体実演だけでも面白かったのに、捌いている男がまた極上とくればフレイの懐もつい緩んでしまいそうだ。
「へぇ〜!こうやってみるとマグロも美味しそうじゃない?ねぇミリアリア、今日はウチで寿司パーティやろう!」
「なんでよ!今日は一緒に焼肉食べに行くって約束だったじゃないの」
「だって美味しそうなんだもの!好きなネタを挟んで手巻き寿司ってのもいいわよきっと・・・え?」
ミリアリアとフレイが短い問答をしている間にディアッカがすかさず割り込んで言った。
「いいんじゃないの〜寿司パーティ!だったらオレがとっておきの切り身を分けてやるよ」
その言葉も終わらぬうちに、ディアッカはさくさくととりわけ美味そうなマグロの部位を切り離していく。
「いいわよ!そんなものいらないからそこどいてちょうだい!」
このままディアッカのペースにはまると多分ろくなことにならないだろう。ミリアリアの頭の中ではディアッカに対してまるで信号が赤点滅を始めるような危険な感じがちらついてしまい、これがもう離れようとしない。
「何言ってるのよミリアリアってば!せっかくディアッカ君が品定めしてくれるって言うんだからお願いしようよ」
その言葉を引き取るようにディアッカはまた言葉を続けた。
「そーそー!ディアッカ君にまかせなさいって。ミリアリアちゃんのために特別なの用意してあげるからさ?」
ディアッカの言葉に今度はフレイが噛み付いた。
「ちょっと!ミリアリアミリアリアって・・・私は関係ないっていうのあんた!」
美人が眉を吊り上げるのも乙なものだが、ディアッカは言葉巧みにフレイの抗議の矛先を変えた。
「やだなぁ〜!勿論こーんな美人のフレイちゃんのことだって忘れてないよ?ほらここ最高に美味しそうでしょ!今包んであげるからね」
ディアッカはひときわ脂ののった切り身を隣にいる従業員に手渡すと、更に嬉しそうな笑顔を見せた。
その笑顔にクラっとしたフレイは優雅な手つきで高級ブランドの財布を取り出し手持ちの札を数えている。
「ありがとディアッカ君。ところでおいくら?」
「あ、お金はいいよ。そのかわり必ずミリアリアちゃんと一緒に食べてね?」
横では従業員がニヤニヤしながらフレイに包装済みの切り身を手渡し、「この代金はディアッカの給料から天引きすっから大丈夫だよ」とホクホク顔だ。だがその言葉を聞いた途端、ミリアリアが強い抗議の声をあげた。
「冗談じゃないわよ!あんたからタダでなんか受け取れないわっ!」
ミリアリアはフレイから切り身を奪い取ろうとしたが、今度はフレイが承知しない。
「バカなこと言ってんじゃないわよ!この切り身、誰が見ても判るくらいの上物だわ!タダでくれるって言うんだからいいじゃないのよっ」
「いいことフレイ!世の中ってのはね・・・タダほど高くつくものは無いんだからねっ!あのバカ男絶対何か企んでるわよ〜っ!」
これ以上は無理だと思うほどにミリアリアは目を見開いて、フレイに向かって言い放つ。
「フフフ・・・高くつくのは私じゃなくてミリアリア、あ・ん・た・だもん別にいいわよ私の方はね」
「・・・・・・」
極悪非道を地でいくようなフレイの言葉にミリアリアも思わず声を詰らせた。と、その間隙を縫って魚屋の従業員がミリアリアたちの前に傲然と立ち塞がり、「はいほらお嬢ちゃんたちそこどいて!他のお客さんがマグロ買えないで困ってっから」
と、慣れた手つきでミリアリアたちを押し退けた。
「あ、すみません」
フレイはここぞとばかりにミリアリアの腕を掴むと強引に見物客の輪から抜け出した。
「ちょっとフレイお金・・・」
まだミリアリアはフレイに向かって食い下がる。だがここはフレイのほうが一枚上手だ。
「この人混みにどうやって戻れって言うのよ!ここはディアッカ君の申し出を快く受けてやるのが一番だと思わない?」
「でもタダで貰うのは私が嫌なの!」
「だったら後であんたが払いに行けばいいわ。とにかく今は私たちがいると商売の邪魔になるからさっさと行こう!」
「ってちょっとフレイ私の言う事あんた聞いてる!?」
買い物客とは反対に向かって歩き出すフレイに引き摺られるようにして、ミリアリアは魚屋から遠ざかってゆく。
(ど・・・どうすればいいの私・・・)
フレイの持つマグロの切り身を恨めしそうにじっと見つめてミリアリアは再び大きな溜息を吐くのであった・・・。
(2008.10.23) 空
※例の宿題をお届けします・・・すみません!ちょっと長くなりそうなので前後編に分けました。
ってチャットから既にひと月経過してるんですけれど、この状態で前後編にした私に・・・どうか石は投げないでください(泣)
後編へ