クルーゼの指が机の上をタップする。
(ここがターニングポイントだな・・・)
口元に薄笑いを浮かべながら、つい先程届いた高速通信文を何度も何度も読み返す。
クルーゼはしばらく何かを考えていたが、つと眼の前のインターホンを取り上げると、ディアッカ・エルスマンに司令官室に来るように指示を与えた。
クルーゼ(1)
「ディアッカ・エルスマン、参りました」
司令官室のドアを開け、敬礼をしてディアッカが中に入るとクルーゼは開口一番にディアッカに告げた。
「ディアッカ。実は君とイザークに帰国命令が出ているのだがね・・・」
「帰国・・・ですか?」
「ああ・・・明後日カーペンタリアからシャトルが出る予定だから準備を済ませておいてほしい」
「・・・分かりました」
さりげなく司令官室を出て行こうとしたディアッカを呼び止めクルーゼはニヤリと笑った。
「・・・それはそうと・・・あの女の子はどうしているかね・・・?」
「・・・元気ですが・・・」
「ふうん・・・。どうするかね?ここカーペンタリアに残していくか・・・それともプラントまで連れていくのか?」
ディアッカはそんなクルーゼの問いかけに慎重に返事をした。
「プラントに連れていきます」
「そうか・・・。まあ、それもいいだろう」
手振りでディアッカを司令官室から退室させたクルーゼは己の計画が想像以上の効果を挙げているのを肌で感じていた。
あの一見軽薄そうなディアッカ・エルスマンがナチュラルの少女に振り回されている。
本人はまだ気付いていないのであろうが、少女に対する執着心はディアッカの内部で激しく増殖しているのだろう。少女を誰にも渡すまいとしているディアッカの心情が滑稽に思えてそれが可笑しい。
(もう少ししてからだな・・・)
クルーゼは独り呟くと、机の引き出しから一枚のディスクを取り出して手のひらの上でくるくると回す。
**********
ディアッカは足早に自室へと戻る。
ロックを解除して部屋に入ると、ミリアリアはベッドに身体を横たえていた。
見れば頬の色が紅い。
「どうしたんだ?具合でも悪いのか?」
ディアッカは軍服の襟元を緩め、セットの崩れた前髪を鬱陶しそうにかき上げながらミリアリアに返事を促す。
「あ・・・すみません。すぐに起きますから」
ミリアリアはなんとかして起き上がろうと必死になるが、おそらくそれは難しかった。
あの懐中時計の一件があってからディアッカは事あるごとにミリアリアに冷たく当たった。
食事も満足に与えずに、しかも過度の情事は決して丈夫とはいえないミリアリアの体力を激しく消耗させていた。
さすがのディアッカも衰弱したミリアリアを見てしまうと再び庇護欲を刺激され、ついその手を差し延べてしまう。
「無理に起きる必要はない。何か食べたいものはないのか?」
ディアッカはミリアリアの額に手を当てながら静かに問う。
だがミリアリアは首を左右に振るとディアッカの手を静かに払いのけて、尚も起き上がろうとする。
「起きるなって・・・言っただろう!」
ディアッカはミリアリアの身体を押さえつけて忌々しそうに言い放つ。
強引にベッドに寝かしつけてから医療班員を呼び、手当てを受けさせるとやはり『過労』だと言われ、点滴と投薬の指示を受けた。
熱が上がってきているのか、ミリアリアの眼は心もち赤みを帯びて潤んでいる。
彼女をこんな状態に追い込んだのは自分なのだとディアッカには解かっている。しかし頑ななミリアリアの態度がどうしても許せないのだ。
「ご迷惑ばかりかけて・・・すみません」
荒い息遣いでミリアリアが謝罪すると、ディアッカの感情は再び波立つ。
「そう思うなら素直にオレに従え!」
「・・・・・・」
ミリアリアからは返事もなく、それがまたディアッカを惨忍な行動に走らせる。
「ああ・・・そうだ。明後日プラント本国への帰国が決まったんだ。おまえをこのまま放置しては行けないから、悪いが一緒に来てもらうよ」
冷たい言葉の裏にある感情。
(こいつは誰にも渡さない・・・)
この女は自分だけのものだ。髪の毛の一本一本から足の爪の先までも全てが自分のものなのだ。
こんな地球にいるからいつまでも『あの男』を忘れられないのだ。この女は。
プラントに連れて行ってしまえば、もう彼女の素性を知る者はいない。そうすれば頼れる者はもはや自分だけ。
そうなったらきっとまたあの笑顔も見られるし、プラントにだってコアラはいる。許可をもらってまた連れ出してもいい。
「残念だったなおまえ。もう地球には戻れないぜ?なにしろこれからはずっとプラントで暮らす身の上だしな・・・」
ミリアリアは黙っている。潤んだ眼を閉じて感情の奥深くまで遡るのは過去。
(・・・プラント・・・)
眼の前のコーディネイターの男の故郷の空はここと同じように蒼いのだろうか・・・。
トールはこの空の彼方で消息を絶った。
優しかった緑の瞳の恋人はもうこの世の何処にもいないのだ。それに・・・トールが生きていても彼の許には戻れない。
堕ちる所まで堕ちて汚れたこの身はもう自分だけのものではない。
もし・・・トールとこの男が同時に手を差し延べたなら、果たして自分はどちらの手を取るのだろう。
熱を持つ身体に触れるディアッカの手のひらの冷たい感触が心地よい。
薬が効いてきたのか口を開くのも億劫になったミリアリアはディアッカにされるがままにその身を任せる。
唇に触れるのは熱の塊と微かな吐息。
(どこにも行くな・・・)
耳を掠める優しい声はきっと自分の気のせいだ・・・。
**********
先程までの荒い呼吸も治まり、ミリアリアは静かに眠っている。
コーディネイターの慰み者になるために生まれてきた彼女ではない。
(クルーゼにさらわれてこなければこんな目にも遭わずに済んだものを・・・)
その考えをディアッカは慌てて消した。JOSH−Aはどの道完全に崩壊する運命だった。だとしたらさらわれたからこそ、ミリアリアの『今』がある。どうせ死ぬ筈だった女なのだ。その女を自分のものにして何がいけない?
ミリアリアの枕元に佇むディアッカは彼女の髪を何度も何度もかき上げては寝顔を見つめる。
素朴な疑問が胸を打つ。ナチュラルの女なんか一時の慰み者だとバカにしていた自分は何だ?
自分は人間。ただコーディネイターであるというだけの人間。そして彼女も人間だ。
(オレは・・・こいつに何を求めているのだろう・・・)
結局はミリアリアを冷たく突き放せない自分がただおかしくてディアッカはひとり笑った。
───よく見ておけよ・・・。
二日後。プラントに向かうシャトルの中でディアッカはミリアリアにそう促した。
まだ回復していないミリアリアの身体を支え、自分の横に座らせるとディアッカは彼女の肩を抱き寄せる。
彼方に広がる蒼い海を眺めるのもこれが最後と言わぬばかりに。
(・・・・・・)
そんなふたりの様子をクルーゼは黙って見つめている。
狡猾で惨忍な少年。
クールで掴み所のない執着心を持たぬ氷の人形。
そう言われ続けてきたディアッカがナチュラルの少女に翻弄されているのは傍で見ていて面白い。
───どうする?ディアッカ。そんな未来のないナチュラルの娘といつまでも一緒にいられる訳でもなかろうに・・・。
クルーゼは口元に氷の笑みを模ると彼方の蒼穹を仰ぎ見る・・・。
(2006.8.2) 空
☆「熱をもつ氷 3 」の補完文です。ここにきてクルーゼの意図がチラチラと見え隠れしています。
もっとも「氷〜」シリーズはとても先が判やすい単純な話ですから、
私が何も言わなくても、今後の展開は容易に想像がつくと思うのですが。
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