奇妙な共同生活が始まった
私は教え子のディアッカに言われるがまま、借りていたアパートは借用の名義だけを残してディアッカの所有する高級マンションに移り住んだ。場所はディアッカの住む部屋の真下にあたる。
体調を崩し、私が彼の部屋で寝込んでいたその間に全ての手続きが済んでいて、もう今更どうにもならないことと、またストーカーに襲われるかもしれないという恐怖心がディアッカの提案を受け入れた要因。

けれども・・・今度は別の不安が私の胸中に存在する。

部屋は違っても教え子と同じマンションで暮らすなんてアカデミーに知れたら大変な問題となるくらいは私にだって解ることだ。
なのにディアッカは・・・相も変わらず飄々としており、食事の時間になると嬉しそうに私の部屋にやってくる。
たわいも無い世間話で食後のお茶の時間を過ごし、午後11時には自分の部屋へと戻ってゆく。それはもう規則正しく。
正直私はそんなディアッカの態度に胸を撫で下ろしている。
あの春の逢魔が時のディアッカとの出逢い。そして藤の蔓を横目に交わした濃密な口づけも・・・私の脳裏からは離れない。
ストーカーの存在も恐ろしかったが、それ以上に怖かったのが、
「もし、またディアッカにそんなことをされたら」ということだったが、それは杞憂だったようだ。
こんな生活も既に半月以上経つ。私がアカデミーに通うのはあとひと月も無いのだし、今はもう夏休みの真っ最中なので、用事が無ければ産休代理のこの身は特に登校しなくてもいい。
それに・・・食事の支度に必要な食材や生活需要品はディアッカが全て宅配サービスを利用しており、不自由なことなど何もないのだ。
だから余程のことがない限り私はこの部屋から出ては行かない。実に気楽だ。

でもそんな気楽な生活を送っているというのに、ただひとつだけ困惑してしまう事態が生じた。

それは・・・口に出すのも恥ずかしいのだけれど・・・男と女の間に交わされる行為、そう、俗に言う情事の物音。
ベッドがギシギシと軋む音と共に、耐えきれなくなった女性の喘ぎ声が響き、善がり狂う様子が手に取るように解ってしまう。
なにしろ音の発信源は全て真上のディアッカの部屋なのだから本当に始末におえない。しかも相手はいつも違う女性らしい。
別にディアッカの私生活をどうこう言う気はない。でも、こんな生々しい行為は他所でやってほしいと思う。
何故なら私はそんな時、どうしてもディアッカの端正な顔立ちと均整の取れた体つきを思い出してしまって暫く自分の身体が自分のものではないような感覚に陥るからだ。けれど、だからといって面と向かってディアッカに情事の注意はきっと出来ない。







Red piano wire   side M







「どうしたのミリアリアちゃん。さっきから黙りこくっちゃって」

夕食を終えてジャスミン茶を飲みながらディアッカが私に尋ねてきた。

「・・・ううん別に何でもないわよ」

そう答えるしか術も無い。
ほんの2時間位前までディアッカは女性とふたりきりの時間を過ごしていた。その物音と嬌声がまだ私の耳に残っている。さすがにばつが悪くて私はディアッカとは極力目を合わせないようにしていたのだ。
なのにこの男は女性を帰宅させた後、今度は私の部屋で素知らぬ顔して食事をしている。この神経の図太さが私には今もって理解できない。

「おや?もしかして聞こえてた?オタノシミの一部始終」

片頬を吊り上げクククと笑うその仕草も見たくなくてついっとそっぽを向くのだが、ディアッカはそんな私を見て楽しそうに言葉を続ける。

「所詮今だけのお遊びだよ。あと何年かすれば家柄と立場に見合った結婚話が山のようにくるんだし?どうせ好きな相手とは結婚できないんだから誰と寝ようが同じ事。それにあいつらだって金目当てに決まってるだろ?本気で相手をするほどの女なんかじゃないさ」

それを聞いて私は驚きを隠せなかった。
まだ10代である筈のディアッカは妙に大人びていて・・・既に定められている未来と自分の情事をこんなにも割り切って淡々としている。

「おや、どうしたのさ?また黙りこんじゃって。別にあんたが気に留めるような話でもないだろ」

目を閉じてその口元に微笑みを残し、ディアッカはそう言う。本当にそっけなく言う。

「そうだけれど・・・でもあんたは寂しくないの?見境無く相手を取り替えるなんて感心しないし・・相手の女性も可哀そうだと思わないの?」

ディアッカがあまりにも淡々と話す様子に私はつい口を滑らせてしまった。
こんな言葉は彼にとって余計なひと言に違いない。気まずい雰囲気が漂うなか、今度は逆にディアッカが私の顔をじっと見つめて問いかけてきた。

「じゃぁさ?そういうあんたはどうなんだよ。本気で恋して結婚まで考えた相手なんかいたの?」

「・・・・・・」

私は答えなかった。
ディアッカの食い入るような視線が痛い。それでも私は答えなかった。
食べ終えたばかりの食事の後片付けに席を立ち、くるりとディアッカに背を向ける。時計を見れば間もなく午後11時になろうとしている。

「・・・ディアッカ。そろそろ帰る時間でしょ?これ以上ここに居るようなら強制的に追い出すわよ」

チラリとディアッカに一瞥をくれて私は黙々と食器を洗い続ける。ディアッカはそんな私を見て再び笑った。そして「ごちそーさん」とニコニコ顔で席を立ったものだから、てっきり私はもう彼が自分の部屋に戻るのだろうと思ったのだ。しかしそれは違っていた。
足音も無く私の背後にそっと回ると、

「トール・ケーニヒ」

小さな・・・それでもよく通る声でディアッカは私に囁いた。一瞬私の息が止まる。

「・・・誰よそれ。そんな人知らないわよ」

「おやそう?ミリアリアちゃんがアカデミーに来る直前まで付き合っていた男でしょ?彼。お金持ちのお嬢さんに見初められて婿入りしたっつーのはこっちの界隈じゃ有名だよ。オレが何も知らないとでも思っていたの?」

「誰かと間違えてるんじゃない?トールなんて知り合いなんかいないわよ」

「本当?」

私の背後でディアッカが笑う。あの逢魔が時の彼そのままに艶っぽい声で。

「あんたが出て行かないのなら私が行くわ!」

つい声を荒くしてしまった。表情を上手く隠していたのにこれではディアッカの思う壺だ。
場の空気があまりにも重くなって私は洗い物をシンクに投げ出しそのまま乱暴にドアを開けた。
だが勢いをつけて外に出るも、肝心のエレベーターは途中の階で止まったままなかなか上まで上がってこない。
仕方ないので私はすぐ横にある階段を下る。とにかくこのマンションから一刻も早く離れたかったのだ。
急いで降りたものだから、何度か階段に足をとられたけれど、それでもようやく1階までまでたどり着くと・・・そこには既にディアッカが居た。

「どうして・・・」

あり得ない。エレベーターは途中の階で足止め状態だった筈だ。

「あのねぇ?こういう建物には普通オーナー専用のエレベーターっつーもんがあるんだよ。気がつかなかった?・・・ああそうか、ミリアリアちゃんは他人の目を恐れて部屋から外には出なかったもんな」

皮肉たっぷりに私を嘲け笑うその仕草さえもこの男は美しい。

「ねぇ、ひとつ聞きたいんだけどさ?ミリアリアちゃんを捨てた男なんかどうしていつまでも想ってるの?そんな奴のことなんかさっさと忘れて違う男を探せばいいじゃん」

「・・・あんたには関係ないでしょ!」

もうこの男と話をするのも嫌だった私は足早にエントランスを通りぬけようとした。だが。

「あ・・・あれ?」

いつもなら簡単に開くガラスの扉が・・・押しても引いても動かないのだ。

「ごめんね。オーナー権限でロックしちゃった」

そしらぬ顔でニコニコと笑を浮かべる不遜なまでのディアッカの態度が憎らしい。

「あんた・・・これじゃ監禁と同じよ!」

「なんとでも言って。ねえ、ミリアリアちゃんにとってトールに捨てられたのはもう過去の話なんでしょ?」

「・・・・・・」

「おや違うの?」

「人のプライバシーをコソコソ嗅ぎまわってるなんて・・・あんたいったいどういうつもりよっ!最低だわっ!」

「自分の担任になる奴の弱みくらい掴んでおくのが常識ってもんだよ。クラスの連中だってこれくらいのことは調査済みっつーことでね、なにもオレだけが特別じゃないさ。アカデミーって所は確かに優秀な生徒の集まりだけどさ?実際は社会的な地位のある奴のガキ共がうじゃうじゃいるんだぜ?金に飽かせた英才教育受けてっからマジでみんな優秀なの。例えばさ、あんたが持っているオレ達に関する資料だけどさ?あんなものはネットで検索すればいくらでも出てくる二束三文のデータでさ、オレ達の正体・・・つーか置かれている立場ってホントはもっとスゴイんだよね?お解かり?ミリアリアちゃん」

「そうね・・・あんたたちが普通の感情を持ち合わせていない冷酷な人間だってよく解ったわよっ!」

「だったらもうそんなにムキにならなくてもいいだろう?」

ディアッカの言葉が針になって私の心に突き刺さる。今思えば、ディアッカは私のプライバシーを思い浮かべていつもニヤニヤ笑っていたのだ。それがあまりにも悔しくて自然私の目から涙が零れた。

「そうよ・・・私は最愛の恋人をあんたのお仲間に盗られたバカに違いないわよ。だけどね・・・だからといって教え子のあんたにミリアリアちゃんなんて呼ばれる筋合いは・・・どこにもないわっ!」

「・・・・・・」

「解ったならロックを解いてここを開けて。あんたの顔なんかもう金輪際見たくもないし・・・これ以上醜い自分を晒すのも御免よっ!」

開かないガラスの扉をガチャガチャと動かし私はディアッカがロックを解除するのを待った。
トール・ケーニヒなんて男のことはもう忘れたつもりだったのに・・・ディアッカのこんなひと言で動揺してしまう自分が情けなくなる。
ディアッカに言われるまでもない。私はトール・ケーニヒなんて過去の人間だと・・・この時までは思っていたから。

「ディアッカっ!聞いてるんでしょっ!早くここを開けなさいよ!」

自分より5つも年下の高校生の戯言に惑わされるなんてどうかしている。だけどこうせずにはいられないのだ。
トール・ケーニヒは将来を誓い合った恋人だった。彼は孤児の私と違って上流の家庭の出身だったがそれでも私を好きだと言ってくれた。なのに・・・彼は旅先で出会った金持ちの少女に見初められて、それきり私の元には戻らなかった。それどころか私は彼の実家に呼び出されて・・・彼の両親に薄汚く罵られた。どうせトールとは金目当ての付き合いだったのだろうとか、孤児の分際で上流階級の仲間になれると思っていたのか・・・とか。
でも、一番悲しかったのは私を口汚く罵る両親の傍らでひと言も発しないトールのその態度だった。
そんな彼を見てしまった私は・・・もうここに愛情など存在しないことを悟った。だからこそ全てを諦めたのだ。

「なあミリアリア・・・」

いきなり背後から艶やかな声がして私は思わず身体中を硬くした。そして声はさらに続いた。

「いくらオレがエルスマン財団の末子だからっていってもさ?本当の自由なんて無かったんだ。友人だろうが仲間だろうが・・・そう恋愛ですらカネと政治の絡み合いだからオレ、今まで他人に関心持つなんてことには無縁だった」

不意に背中に熱が伝わる。私の肩の上にディアッカが自分の頭を乗せた。しかも彼の両腕は私を包み込むように抱いているのだ。

「だからね・・・こうして他人に関心を持つなんてきっと貴女が初めてなんだよ。可笑しいだろ?」

「そんなバカげた話を信用すると思ってるの?それにこんなところ誰かに見られたらあんただって困るのよ!いいから早くここを開けて!」

「この扉特殊なアクリル樹脂で出来てるから外部からは見えないよ」

耳元を掠める艶かしい声が私の身体を熱くする。だからといってこのままディアッカに抱かれているわけにはいかない。

「見えようが見えまいが・・・そんなことはともかくとして、あんたは教え子で私は先生!それ以外の何ものでもないっていつも言ってることでしょう!」

だが、ディアッカは私を拘束したまま声を上げて笑った。








「ねえ?まだ気付かないのミリアリアちゃん。貴女は囚人でオレは看守。この建物は貴女を閉じ込めるための牢獄だってことにさ?」







「・・・何・・・それ・・・」

アクリルガラスに映る自分の顔がみるみる色を失ってゆく。

そしてその背後のディアッカの顔はあの宵闇の桜の中で見たままに美しいのだ。







  (2007.8.30) 空

  綺麗な男にこんなこと言われたらきっと怖いと思いますよ・・・。

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