赤い糸で結ばれた恋を運命と呼ぶのなら間違いなくこれは運命の恋だ。
彼女へと続く運命の赤い糸。
でも・・・それは手繰り寄せるとプツリと切れてしまいそうな儚さでオレを翻弄する。
だからどんなに遠く離れても手繰り寄せられる強さが欲しい。
目に映らないくらい細くとも切れないあのピアノ線のような・・・そんなしなやかな強さが欲しい。
オレの小指と彼女の小指を結ぶ糸はピアノ線。
強く手繰り寄せると指が傷つき糸はきっと赤く染まる。
さすれば赤いピアノ線。
運命の糸はしなやかな強さを持つ鮮やかな赤───。
Red piano wire
下校時刻もとうに過ぎた逢魔が時。
風が強く、咲き誇る校庭の桜もその花びらを散らせて吹雪く。
そんな景色の何もかもが、まるで異世界の蜃気楼のようだと青年は校舎の窓辺でひとり物思いに耽っていた。
「ん・・・?」
桜吹雪の中、校門から校舎に向かって歩いてくる人影が目に映った。
「こんな時間に誰だ?」
夕刻と強風のせいで今ひとつはっきりとしないが、どうやらそれは若い女性であるらしい。スカートの裾を気にしながら辺りをキョロキョロと見回している様子が小動物を思わせて青年は口の端に笑みを浮かべた。
女性は昇降口の前で立ち止まると、また周囲を見渡している。何かを探しているのだろうか。
やがて女性は青年のいる窓辺の下まで近づいてきた。青年のいる場所は2階。
「ねぇ、おねぇさんそんな所で何してんの?」
窓枠に頬杖をつきながら青年が声をかけると、『おねぇさん』と呼ばれた女性は弾かれたように顔を上げた。
「今日は当直のセンセ以外は誰もいないよ」
青年にそう言われて女性は落胆し、大きく息を吐いた。
「・・・そう。じゃぁ仕方ないわね。ありがとう教えてくれて」
女性は頭上の青年に礼を言うと踵を返して来た道を反対に歩き出した。
それを見た青年は慌てて窓枠から身を乗り出すと、いとも容易く2階から飛び降り、すぐさま駆け寄って女性の後ろからその腕を引いた。
不意をつかれてバランスを失った女性は背後から青年に抱きとめられる。
「おっと危ねぇ。ごめん、大丈夫だった?」
耳元を掠める声に女性はすぐさま振り返り、その姿を認めてあんぐりと口を開けた。
「あなた・・・今2階にいたんじゃ・・・」
つい今しがた校舎の2階にいた人物が、別れてから数歩も歩かないうちに目の前にいるのだから驚くのも無理はない。
「サボリの常習犯なんでね。窓枠とはとっても仲の良い友達なのよオレ。ところでおねぇさんこの学校に何か用なの?」
抱きとめた肩もそのままで青年は女性と並んで歩き始めた。
その馴れ馴れしさに女性は露骨に嫌な顔をしたが、それでも冷静さを失わずに返事をする。
「新学期から産休に入る先生の代理でここの教員として採用されたの。解かったらその手を離しなさい!」
「・・・ふうん。ってことはまだ正式な辞令は降りてないんだろ?だったらそんな命令口調でモノを言っちゃいけないよなぁ〜」
青年はクククと笑うとさらに女性を強く抱き寄せて言う。
「ねぇ名前くらい教えてよ?オレはここの生徒だから否が応でも再会は確実!」
女性は今度こそ怒りを隠さずに「そういうときは自分のほうから名乗るのが礼儀ってものでしょう!」と言い放ち、自分の肩を抱く青年の腕を外しにかかる。
青年は悪びれた様子も無く嬉々として女性の正面を向くと崩れかかったオールバックの髪をかき上げニコリと笑った。
「んーとね?オレはディアッカ。ディアッカ・エルスマンっていうの。じゃー次はおねぇさんね?ご要望にお答えしてこっちから名乗ったんだから自己紹介してくれるよね?」
ディアッカと名乗った青年は女性に外された腕を肩から腰に移して再び口元に笑みを浮かべる。
女性は躊躇いの表情を見せたが、どのみちこの学校に赴任してくるならば全校生徒に名前は知れる。
「ミリアリアよ。ミリアリア・ハウ」
憮然とした顔で女性は自らの名前を言うと、腰に回された青年の手を思い切り抓り、強引に振りほどいた。
「痛ぇ・・・!気が強いのねおねぇさん。いやミリアリアちゃん?」
ディアッカと名乗った青年は振りほどかれた手を痛そうにプラプラさせてまたクククと笑う。
「ちょっと!先生に向かって『ちゃん』はお止めなさい!まったく何考えているのよ!」
「『ちょっと!』じゃなくてさ?ディアッカと呼んでよミリアリアちゃんってば」
ディアッカはまたミリアリアの手を掴んでぐいっと自分に引き寄せた。
「せっかく素敵なご縁があったんだからさ?再会したらこの続きをしようね!」
ディアッカはそう言ってミリアリアの頬にキスをひとつすると、そっとその身体を自由にした。
気がつけばあたりは既に逢魔が時から闇へと変わり、すぐ傍にいるはずのディアッカの姿さえはっきりしない。
「じゃあね、楽しかったよミリアリアちゃん。あ、そうそう明日は校長も学校に来るから出直しておいで」
クククと笑いながらディアッカはミリアリアに背を向けた。
「先生と呼びなさい!」
「・・・・・・」
ディアッカからの返事はなかった。
折からの強風に煽られて桜の花びらがふたりの間を割って入る。
その僅かな時間にディアッカの姿が見えなくなり、ミリアリアは周囲を見渡すも人の気配は既に無い。
ミリアリアはひとり呆然と立ちつくす。
今しがた自分が逢った青年が逢魔が時の魔物のように思えて今度は急に悪寒が走る。
心細さを誤魔化すようにミリアリアはそんな自分を両の腕で抱いた。
**********
ここ、「プラント」という国家は学業優秀な者、芸に秀でた才能ある者に対しては多額の援助を惜しまない。
ミリアリアが赴任することになった高等学校も正式な校名よりはむしろ「アカデミー」と呼ばれることで有名だ。
この学校は創立以来各方面に優秀な人材を世に送り続けるプラント有数の名門校で、全校生徒のうちでも特に優秀と認められた20名の者は、エリートの証である赤のバッジを胸に着け、特待生として遇されている。
ミリアリアは不思議に思う。産休の教員の代理とはいえこんな名門の高校に自分が採用された、その理由が解からないのだ。
翌日、正式な辞令を受け取る為に校長室に赴くと、校長は妙なことをミリアリアに告げた。
「ハウ先生。新卒の身で担任を受け持つのは何かと不安でしょうがどうぞご心配なさらずに。あなたは私や他の先生方の言葉に素直に従い、実践すればいいだけです。何か疑問に思ったり、納得がいかないことも生じるかと思いますが、見て見ぬフリをすることも時には必要ですよ」
校長はひとの良さそうな笑顔を見せるがその目は笑っていなかった。
「それはどういう意味ですか?」
そんなことを告げられてはミリアリアでなくとも疑念が湧く。
「あなたが受け持つクラス・・・3ーAに行けば自然と解りますよ」
作り笑いの表情もそのままで校長は3のAの資料をミリアリアに手渡すと、まだ訝しげな顔をしている彼女に早く退席するようにと言葉と態度で促した。
**********
「ふう・・・」
ミリアリアは一人暮らしのアパートに戻るとすぐに熱いシャワーを浴びた。
スポーツドリンクを片手にガウン姿のままソファーに腰を下ろせば、先刻の校長室でのやりとりが浮かんでくる。
国内屈指のエリート校への赴任は半年という短期間であるが、校長の口ぶりからして厄介なことが待っていそうだ。
思い出したように渡された資料の袋を開けると中には担任として受け持つ生徒の詳細なデータが綴られている冊子記録簿が入っていた。
パラパラとページを捲るとクラス40名分の成績や居住地などが写真付きで記載」されている。
「ふうん・・・特待生が4名もいるのね。アスラン・ザラ、イザーク・ジュール・・・ニコル・アマルフィ・・・それと・・・」
最後の特待生の名前を見た途端ミリアリアの顔は蒼白になった。
何故ならそこに記載されていた名前には覚えがあったからだ。
「・・・うそ」
記載されていた4人目の特待生。名前は『ディアッカ・エルスマン』
ミリアリアは自分の頬にそっと手を添え昨日の出来事を思い起こす。
夕方でもなければ夜でもない。そんな僅かな時間の狭間で会った青年は自らディアッカ・エルスマンと名乗っていた。
薄闇の中でも鮮やかに浮かび上がる豪奢な金髪と180センチを超える長身に加えしっとりとした艶のある独特の声は強い印象を残していた。
「私・・・こいつの担任になるの・・・?」
シャワーを浴びて温まった身体が一瞬で火照りに替わる。
頬に触れたディアッカの唇の感触が身体中を駆け巡る。
残光を映す彼の瞳が綺麗な紫色だったことを思い出して、ミリアリアはスポーツドリンクを飲み干し溜息をつく。
───逢魔が時に出逢った魔物は忘れられない程に美しかった。
(2007.5.29) 空
※ kokoさま随分長くお待たせして本当に申し訳ありませんでした。
キリリクの1話目をお届けします。
今回のDさんは黒いです。ここのところピュアで良い人だった彼ですが、管理人の理想のまま狡猾な黒さバリバリです(えー)
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