夢を見た───。
どこまでも広がる一面の雪の原で私はひとり立っている。
ここは・・・どこ?
私はどうしてここにいるの・・・?
誰もいないその場所は、空と凍りついた大地とがひとつに繋がり合ってただ白いだけだ。
深・・・と静まり返った音の無い世界を見ていると、今にも私を飲み込む様な不安だけが募る。
不意に鳥の羽ばたきが聞こえ空を見上げた。
舞い降りて来たのは一羽の白鳥。
雪の原に溶け込むその白さはどこか頼りなくてそっと・・・手を伸ばしてみる。
突然白鳥はその翼を広げて私を包み込むと、目の前のすべてが暗闇に変わった。
いきなり訪れた漆黒の闇はそのまま私を縛りつけて放そうとはしない。
これは・・・夢だ。
夢だと解っている。
なのに逃げる事が出来ないのは何故?
舞い落ちる雪の冷たさだけが妙に生々しく私の熱を奪ってゆく。
引き換えに雪は涙となって頬を伝う。
寂しい。
凍りつく大地にただひとり残される夢。
「人」の「夢」と書いて「儚い」と読むように・・・。
私のいる世界は夢の中も現実も雪のように儚い朧。
The Other Side of Love リロード 〜 「M」
───ハッ・・・と眼が覚めた。
ようやく夢から開放され、私は現実の暗闇に引き戻される。
見れば時刻は午前二時を回ったばかりだった。
「・・・どうした?」
不意に私の横で艶のある声が聞こえ、思わず声を上げそうになった。
そこにいるのは夜目にも豪奢な金の髪の男。
「・・・あ。ごめんなさい。起こしてしまいましたか?」
私は慌てて男の目線から身体を逸らし、背を向けた。
「眠れないのか・・・?」
「大丈夫。夢を見ただけですから・・・」
男に背を向けたままで答えると、男は別段気に留めず「そう・・・」とだけ呟いた。
一度眼が覚めてしまったから、もうきっと朝まで眠れはしないだろうが、横にいる男には軍人としての仕事があるから私はそっと息を殺した。
夢と同じ暗闇の中の無音の世界が広がるにつれ、自分の心臓の鼓動と息遣いだけが聞こえてくるような感覚は更に私の神経を細く削る。
男はそんな私の気配を敏感に感じたらしく、
「眠れないならこっちに来い」
そう言い終わらないうちに、背中から男の腕が廻り、私をまるで羽交い絞めにでもするかのように抱き込むと、首筋を強く吸い上げる。
「もう・・・大丈夫ですから・・・放して下さい」
私はやっとの思いでそう言ったのに、男はわざと私の耳元で掠れた声を発し、
「こっち向けよ・・・」
と、強引に私を正面から抱き直す。
一糸まとわぬ男の身体は私を抱き込むことで熱を伝え始める。温かい。
私に愛情など微塵も持たないだろう男に抱かれているというのに・・・その温かさが不思議だった。
**********
───男の名前はディアッカと云った。
少しクセのある金髪に艶やかな浅黒い肌と黒紫の水晶の様な瞳をした美しいコーディネイター。
あの壊滅的な打撃を受けたアラスカのJOSH-Aで私は仮面を着けた男に攫われ、そのままZAFTの捕虜となった。
本来なら捕虜の収容施設に送られるはずだった私だというのに、どんな経緯があったのか解らないが、私はこの男・・・ディアッカ・エルスマンの保護下に置かれ、監視される毎日を強いられた。
残虐な行為や死に至らしめる事さえ無ければ、私を彼の好きにしていいとの許可まで下りているのだと聞かされても、私には抗らう術も無い。
やがてZAFTのカーペンタリア基地に連れて来られ、ディアッカの自室で、まるで同棲の様な奇妙な生活が始まる。
さして広くない彼の自室はセミダブルのベッドとテーブルと椅子。それにクローゼットがあるだけの空間だったが、小さな窓から見える海と蒼穹は私に自由を思わせた。
ディアッカは普段、とても優しかった。
退屈だろうと言って、本や手芸道具なども揃えてくれたし、AAでは食べられなかった新鮮な果物やお菓子を持って来てくれたりもした。
コーディネイターならではの豪奢な彼の美貌に私は見惚れた事もしばしばあって、その都度彼のいいからかいの対象にされた。
「な〜に?もしかしてオレに恋しちゃった?」
なんて呆れるような言葉を掛けられても私は何も言えず、ただ黙って俯く事しか出来なくて・・・それが更に彼を煽るらしかった。
───自由にしていい。
その言葉どおりに、私が初めてディアッカに抱かれたのは捕虜となって二週間目の夜。
それまでの無理が祟って私は暫く病床にあったのだが、回復した頃を見計らって、ディアッカは私にあれこれと聞き出すようになった。
MSバスターのパイロットである彼はAA・・・しいては私とも深く関わっている筈なのだが、とてもそんな風には見えなかった。
私は中立国オーブの出身だったせいもあって、元々コーディネイターに対する偏見が薄い。
大好きだった友人のキラもコーディネイターだったし、彼の親友だったトールは私の恋人でもあったから、コーディネイターだからといってやみくもに嫌悪感を持たずに済んだのは私にとってきっと幸いな事だ。
目の前いるコーディネイターの男だとて、自らコーディネイターとして生を選んだ訳ではない。
ただそのように生まれついただけなのだ。
地球から追われる様にプラントへと移住したコーディネイターたちに・・・いったい私たちナチュラルは何をした?
安住の地を奪い、虐殺を繰り返し、挙句の果てにはプラントに核まで撃ち込んだのではなかったか?
目の前の男がナチュラルを憎悪するのも当然に思う。
だから・・・私はディアッカに泣きながら訴えた。
「私たちこそあなたの憎むべき敵じゃないですか・・・!」と。
憎悪の視線と罵倒をを覚悟して俯く私の頬に大きな手のひらが触れた。
止まらない涙を絡め取るかのような仕草に顔を上げると・・・静かな男の表情があった。
咄嗟に抱き込まれたディアッカの胸の中は温かくて・・・心臓の音が子守唄の様に心地良くて縋ってしまった。
激情のままに流されこの身を抱かれても構わなかった。
私の傍にはこの男がいるだけであとはもう何も無い。今更。
いつか本で読んだ『ストックホルム症候群』
犯人と被害者の心的相互依存症に私も陥ってしまったの?
不安と絶望のあまり、目の前の男に縋り、恋焦がれる屈折した心理状態を引き起こしてしまったの?
ディアッカと肌を合わせ、抱かれるたびに私の中で何かが壊れてゆく。
寂しい。
豪奢な美貌を持つこの男にとって私は慰み物に過ぎない。「者」ではなく「物」。
気まぐれに抱かれ、意のままになる人形。それが私。
抱かれたときには温かい熱も離れてしまえば途端に凍りついてゆく。
**********
眠れない夜に男に抱かれ、縋りつく事しか出来ない自分。
気だるい疲労感に包まれて意識の闇へと堕ちてゆくこの身はやがてゆっくりと冷え始める。
そして・・・また私は夢を見る。
どこまでも広がる一面の雪の原で私はひとり立っている。
誰もいないその場所は、空と凍りついた大地とがひとつに繋がり合ってただ白いだけだ。
舞い落ちる雪の冷たさだけが妙に生々しく私の熱を奪ってゆく。
引き換えに雪は涙となって頬を伝う。
凍りつく大地にただひとり残される夢。
「人」の「夢」と書いて「儚い」と読むように・・・。
私のいる世界は夢の中も現実も雪のように儚い朧。
ならば全ての熱を奪われて。
冷たい雪の中でこのまま眠るように死ねたらいいのに・・・。
(2006.1.19) 空
※ 『ストックホルム症候群』 1973にストックホルムで起こった誘拐事件における被害者の心理から、
そう呼ばれている事例。犯人と被害者の心的相互依存症の事である。
不安と絶望のあまり、自分の命が助りたいが為に生殺与奪の権限を持つ犯人に好意を持ってしまう心理状態は、
捕虜となったミリアリアにも当てはまりそうではありますが・・・。
この話の時間枠は捕虜になってひと月が経過した頃で、カーペンタリアからはまだ出発してはおりません。
熱をもつ氷の3話目の間に挿入されるお話です。
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