降るような星空を見上げながらミリアリアはようやくディアッカに言った。

「今日は私の為に・・・あなたにご迷惑をおかけしました。無理なお願いを聴きいれてくださってありがとうございます」

「あ?ああ・・・。また、そのうち連れてきてやるよ」

街灯のオレンジ色が映るディアッカの瞳は正面を向いたままで、声だけをミリアリアに渡す。

「何をおっしゃるのですか。捕虜の気晴らしなんてやっぱりおかしいですよ」

結局、スイートに泊まることもせず、ディアッカとミリアリアはプレイランドを後にした。
何故なら、ディアッカが「金の事は心配するな」と言っても、ミリアリアが承知しなかったからだ。
途中で立ち寄った公衆の休憩施設でシルクサテンのワンピースから、ZAFTの緑色の軍服に着替えた彼女にはもうコアラを抱いたときに見せたこぼれる様な笑顔はなかった。

時刻は既に午後11時を指している。
こんな時間にカーペンタリア基地に戻ることは当然無理なので、ディアッカは仕方なく街道沿いの細い道から安っぽい造りのホテルへと車を向けた。
『男と女のある種の目的』の為だけに存在するこの場所は、今夜泊まる筈だった豪華なスイートとは何もかもが違う。
人目につかない駐車場に車を停めてディアッカはミリアリアの肩を抱いた。
いつもならこんな仕草のひとつにも、ミリアリアはディアッカに緊張を伝えたのに、今の彼女はまるで無反応だ。
いや、正確にはディアッカの懐にあった銃に触れてから、ミリアリアの顔から表情というものの総てが消えた。
ひっそりと静かに微笑むことも、優しい声色も失くしてミリアリアは黙って車から降りる。
感情など初めから無かったかの如く振舞う・・・そんなミリアリアにディアッカは苛立ちを覚える。

「おまえ・・・。なにもそんなによそよそしくしなくたっていいじゃないか!」

先ほどとは全く正反対。それ以上に他人行儀なミリアリアの態度がディアッカの怒りを募らせる。

(・・・・・・)

不意に途切れた互いの声は闇に溶け込む沈黙が重い。
そしてミリアリアの表情は能面のように凍りついたまま、ついにデイアッカに微笑み返すことをしなかった。







懐中時計






───3日間の休暇も終わり、ディアッカとミリアリアの間にも日常が戻ってきた。

中破したバスターも修理が完了して、ディアッカが再び戦場へと戻る日も近い。鈍ってしまった勘を取り戻す為、つい訓練にも熱が入る。

「今日は重要な会議があるから多分ここには戻れない。だから好き勝手に過ごしていてくれる・・・?」

プレイランドから戻って数日経ったある日、ディアッカはそうミリアリアに言い残して自室に鍵を掛けた。
あの日から表情を総て消してしまったミリアリアは「はい」とだけ答えると軽く頭を下げた。その仕草はまるで使用人のそれで、ますますディアッカを不快にさせる。ディアッカが口を開かなければひと言も発しない、まるで人形のような彼女に彼は密かに落胆する。
あのプレイランドでのミリアリアはとても愛らしかった。陽の光を浴びて楽しそうに笑う姿には、つい釣られて笑みを浮かべてしまったほどだ。あれがきっと本来の彼女に違いない。ディアッカは何とかしてミリアリアの歓心を得ようとしたのだが、彼のどんな行為も彼女には微笑みひとつ与えない。

(忌々しい女だよ・・・!まったく!)

通路を歩く自分の足音すらディアッカの耳に煩い。




───通路から遠ざかる足音に、ミリアリアはようやく息を吐いた。

開かない小さな窓から外を見れば少しくすんだ蒼穹が広がる。海と空の繋ぐ一点を見つめたまま、ミリアリアの瞳は動かない。
恋人のトールと仲間のキラが命を落とした空。そして静かに瞑る海。
大切な者を守るためにふたりは自らの命を懸けた。そうして護られた命でミリアリアは今を生きる。

(トール・・・)

今は亡き恋人の名前をそっと呟く。去年の今頃はヘリオポリスで互いの夢を語りあう・・・そんな希望に満ちた日々を送っていたのに。
ずっとずっとそんな日々が過ぎていくと思っていたのに。

コーディネイターの己とナチュラルの仲間の間でボロボロになる程傷ついた優しいキラ。そしてそんなキラが大好きだったトール。
誰よりもきっと気高い心をもっていただろうふたり。

ミリアリアはポケットから、掌の大きさの懐中時計を取り出した。
これだけはディアッカにも見せたことがなかった。
そっと蓋を開けると、もういつ頃撮ったのか正確な日時は忘れてしまったが、在りし日のトールと寄り添って笑う自分の姿の写真がある。

人口の青空でもヘリオポリスは美しく、そして毎日が幸福だった。
敵の捕虜となってしまった今の自分に許されているのは、ただこうしてくすんだ蒼穹と海を眺められるのみである。
窓の下ではZAFTの軍人が気忙しく動いているが、彼らは自由だ。許可さえ下りればどこへでも行ける。

そしてミリアリアは思う。

敵であるはずのコーディネイターの男の慰み者になり、堕ちるところまで堕ちてしまった自分はきっと汚い。
命を懸けてまで護ってもらう価値など既にない汚れた人間・・・。なぜなら・・・。





───プシュッ!





いきなりドアが開いた。


「灯りも点けずに何やっているんだ・・・?」

もうすっかり耳に慣れた艶のある男の声とともに部屋には灯りが燈される。ディアッカが戻って来たのだ。

(・・・あ!)

ミリアリアは慌てて懐中時計をポケットにしまい込んだのだが、その一部始終を見逃すようなディアッカではない。

「なあ・・・今何を隠したの・・・?」

不信感を露にディアッカが近づいてくる。ミリアリアの後ろは窓で、彼女には逃げる場所もない。

「なあ・・・何を隠したんだよ!見せてみろよ!」

ミリアリアの腕をねじ上げてディアッカは彼女のポケットを探る。
カシャ・・・ンと音立てて銀色の懐中時計が転がり落ちた。

「何だこれは・・・」

ディアッカは素早く懐中時計を拾うと、その蓋を開けた。




「この男・・・誰?」




ミリアリアと寄り添う男。茶髪で碧の瞳の男の横でミリアリアが笑っている。
その笑顔は・・・そう。プレイランドで楽しそうに笑っていた彼女そのもの・・・。

誰よりも自分こそが見たかったあの時のミリアリアの笑顔だ。

「ふうん・・・こいつ・・・おまえの恋人ってわけ?」

ミリアリアの腕を更に強くねじ上げてディアッカは笑う。

「おまえもずいぶ分したたかじゃない?で?どうだったんだよ!オレとこの男を比べてさあ・・・ん?」

ディアッカの顔がいびつに歪む。そんな彼を見てミリアリアは何とかこの場を逃れようとした。

「どっちがスルのウマかった?男をふたり手玉にとっていい思いしてるんじゃね〜の?」

そんなディアッカの言葉に堪りかねたミリアリアの瞳からは、大粒の涙が頬を伝ってゆく。

「そんなこと・・・!」

比べるだなんてそんなことをミリアリアはしていない。

なのに惨忍で酷薄な笑いを浮かべ、ディアッカはミリアリアの身体を強引に自分へと引き寄せた。

「そう・・・?じゃあもう一度その身体で確かめてみろよ・・・!」




ディアッカはもう手加減などしなかった。

コーディネイターの自分と比べれば著しく体力の劣ったミリアリアを己の欲望のままに抱く。
牙を剥いたディアッカの求めは性急で激しく、まるで肉食獣が己の空腹を満たすかのようだ。

(オレは・・・こんな貧弱なナチュラルの男と比べられていたのか・・・!)

はらわたが煮えくり返るような怒りをディアッカはミリアリアにぶつけた。

───ああ。そうだ。この女は敵軍の捕虜で自分だけの慰み者だ。

自分に微笑みかけてはくれないのなら・・・。
能面のような無機質な表情しか見せないのなら・・・。
感情の総てを忘れたような態度しかとらないのなら・・・。

(そうだ!もっと苦しい顔を見せろ!嫌な男に抱かれ泣き叫べばいい!)

「なあ・・・!おまえは敵の男の慰み者だぜ?もう昔のことは忘れちまえよ!」

ディアッカは氷のような冷たい微笑を口の端に乗せる。

「おまえはオレのモノなんだって解かってるんだろ・・・!」

そう言って吐き出す感情。それは不安。

ミリアリアの背中が強く反り返る。こんな激しい求められかたを彼女は知らない。

「い・・・嫌・・・!」

苦痛と快楽の交差するディアッカの行為に必死に耐えるしかないミリアリア。
まるで果てのない時間の中に取り残されるような感覚の中でミリアリアの思いが宙に浮く。

(トール・・・!)

自分は捕虜で・・・もはや自由などは夢だ。
敵であるはずのコーディネイターの男の慰み者になり、堕ちるところまで堕ちてしまった自分はきっと汚い。
命を懸けてまで護ってもらう価値など既にない汚れた人間・・・。なぜなら・・・。


(トール・・・赦して・・・)


───私はいつの間にかこの男を・・・ディアッカ・エルスマンを好きになってしまった・・・。



秀麗で・・・それでいて豪奢な美貌を持つコーディネイターの男。
口の悪さと皮肉気な態度の裏でいつも自分を労わり・・・思いがけない優しさをくれた男。
肌を合わせる度に温かな熱を伝えてくれた男。

気が付けば自分は密かにこの男を追い求めている。

彼はきっと自分には愛情など持ち合わせていない。ただの監視員だと解かっている。
自分は『物』なのだ。この男にとっては一時の慰み物なのだ。

捕虜が恋などしてはいけない。

だから誰にも知られてはいけない。

そしていつも忘れてはいけない。


この先何が起ころうとも、この男との未来はない。いつかは引き離されてしまうのだから。

だから・・・どんな残酷な目に合わされても、この『恋心』だけは秘めたままで殺す。









男の浮かれた熱に包まれて急速に意識の闇へと堕ちてゆく身体。


そして・・・また自分は夢になって溶けてゆく。

どこまでも広がる一面の雪の原で自分はひとり立っている。
誰もいないその場所は、空と凍りついた大地とがひとつに繋がり合ってただ白いだけだ。
舞い落ちる雪の冷たさだけが妙に生々しく自分の熱を奪ってゆく。
引き換えに雪は涙となって頬を伝う。
凍りつく大地にただひとり残される夢。

「人」の「夢」と書いて「儚い」と読むように・・・。

自分のいる世界は夢の中も現実も雪のように儚い朧。









ならば・・・全ての熱を奪われて。



冷たい雪の中でこのまま眠るように死ねたらいいのに・・・。



このまま・・・恋する男の腕に抱かれたままで。



───眠るように死ねたらいいのに・・・。







               残酷な夢はもう見たくない・・・。







───だからこのまま眠るように死ねたらいいのに・・・。









    (2006.5.18) 空

    ※webに掲載する性描写の表現はとても難しいです。私のボンクラ頭ではこれがきっと限界ですね(涙)。


    熱をもつ氷TOPへ   イザークへ