口論になった。
彼女を泣かせたかった訳じゃない。
オレはただ・・・こんな無様な自分の姿を彼女に見せたくなかっただけだ。
フライリグラード(7)
ディアッカは休憩室からミリアリアを追い出した後、その場から逃げるように立ち去った。
ピアノを見るのも嫌だったし、万が一ミリアリアが誰かを呼んで戻って来たら即刻連れ出されてしまう。
恥の上塗りはゴメンだと思った。
結局彼は行く宛もないまま、その夜を格納庫のバスターのコクピットの中で過ごしたのだが、あんな狭いところで長く眠れる筈も無く、朝が来るまでただぼんやりと常夜灯を眺めていた。
だが、さすがにそれは辛い。体力の落ちた身体にはひどく堪えた。
朝も九時を過ぎればシフトの交代後で人影もまばらになる。
朝食を終えて格納庫に入ってきたマードックに見つからないようにしてディアッカはそっと格納庫を出る。
今朝からミリアリアも業務に就いている筈だ。自室に戻るチャンスは今しかないと思い足早に向かう。
だが、自室まであとほんの数メートルというところでディアッカはとんでもない相手に捕まった。
(う・・・ヤベェ!フラガのおっさんかよ・・・)
通路にいたのはムウ・ラ・フラガ。嫌な予感がした。なにしろムウは妙に勘が鋭い。
ディアッカが今、ミリアリアの次に会いたくなかったのが眼の前にいるこのムウで、しかもご丁寧にディアッカの部屋のドアの前に立ち塞がっている。
「よう!エロガキ!朝帰りなんてどうしちゃったの?」
薄笑いを浮かべているくせにその眼はちっとも笑っちゃいない。
(ふう・・・)
ディアッカは小さく息を吐き出す。こんな奴は受け流すに限る。
「オレはあんたと違って朝帰りなんかしねぇよ?バスターの調整に手間取っただけさ?部屋に戻るんだからそこどいてくんない?」
そう言って彼はムウを押し退けて自室に入ろうとした。だがそのまま素直に引き下がるようなムウではない。
「こっちはおまえさんに話があるのさ。ちょっと俺の部屋まで来てもらおうか!」
ムウの腕がディアッカに伸びた。
(・・・・・・!)
ディアッカは肩と腕を掴まれるや否や、強引にふたつ手前のムウの部屋に引きずり込まれてしまった。
ドアの閉まる音が無情に響き渡る。
「ってぇな・・・!いきなり何すんだよおっさん!」
当然ディアッカは抗議の声を上げた。
ただでさえ体調が悪いのに、意味有り気なムウの部屋に連れ込まれるなんて冗談じゃない。
だが、ムウは情け容赦なくディアッカに話を切り出した。
「なあ・・・。おまえお嬢ちゃんと一体何があったんだ?ふたりして様子が変じゃないか?」
(やっぱりその話かよ・・・)
ディアッカはもうウンザリしていた。ミリアリアと何があったなんて金輪際口にしたくもないというのに。
「別に?何もないけど?」
淡々とした声でディアッカが答えるとムウはいつになく深く切り込んでくる。
「お嬢ちゃん・・・。ずっとおまえの心配してただろう?」
その言い草も勘に障る。だからついディアッカは声を荒くしてしまった。
「うるせぇんだよっ!おっさんには関係ねぇだろっ!」
どうしたというのだろう。ムウは不思議なものを見ている気分にさせられた。
(・・・・・・おかしい)
いつものひとをくった軽薄で飄々としたディアッカらしくない。彼がいつも持っている筈のゆとりというものがまるで無いのだ。
「ミリアリアの話なんかするんじゃねえよっ!こちとら体調不全であんたの与太話に付き合えるだけの余裕なんざねぇんだから!」
「おまえ・・・」
ディアッカの様子は余裕が無いというより精神状態そのものがおかしいとムウは感じた。
ディアッカは溜息を吐く。ムウの視線が突き刺さるようだ。勘のいい奴は厄介だとしみじみ思った。
「話ってそんだけ?じゃ、オレ戻るからドア開けて?」
今度は出来る限り冷静さを装ってディアッカはムウを睨みつけた。
だが、ムウはドアの前から動こうとしない。
「なあ・・・オレが言ったコト聞いてた?おうちに帰してって言ってんのよ?解る?」
思い切り意地悪な口調でディアッカが揶揄すると、ムウの表情が憐れ味を増す。
「ディアッカ、おまえ今自分がどんな顔してるのか解っているのか?」
「知らねぇよそんなの!どうだっていいだろっ!」
イライラする・・・。
ディアッカはどんどん自分が自分じゃなくなっていくような気がして立ち塞がるムウを力ずくでどかそうとした。
「ディアッカっ!」
そう呼ばれた途端、ディアッカはムウに思い切り突き飛ばされ壁に肩を強くぶつけた。
その反応の遅れももはやディアッカらしくない。
「てめぇ・・・何様のつもりだムウ・ラ・フラガっ!」
さすがに腹に据えかねたディアッカは起き上がってムウの胸ぐらに掴みかかった。
だが逆にその手をにねじ上げられ、鏡の前に突き出されれる。そして・・・。
「よく見ろっ!これが今のおまえの顔なんだよディアッカっ!!」
ムウの声・・・。それは怒りよりも悲しみに満ちた悲痛な叫び。
───鏡に映し出されたディアッカの顔。
それは・・・頬はこけ、ドス黒く変色した艶の無い皮膚と瞳だけがギラついている顔。
倒れないのが不思議なくらい疲れ果て、憔悴しきった挙句今にも崩れ落ちていきそうな顔。
『幽鬼』としか言い様のない・・・そんな顔をしていた。
ディアッカは観念したように大きく溜息を漏らす。
「こんな顔してたら素直に帰す気にはならないってか?・・・おっさん」
ディアッカは自嘲の笑みをもらす。
「当然だな。おまえは周りに与える影響がデカ過ぎるんだよ!少しは自覚しろよ・・・」
「はいはい。これからは注意いたしましょ!」
そう言ってディアッカは自分をねじ上げているムウの腕を静かに振り解いた。
これ以上何を言ってもムウは自分を帰さないだろう・・・そう思ったディアッカは手のひらを挙げて降参のポ−ズをとった。
以外だった。
「なあ・・・。いきなりおとなしくなっちゃってどうしたんだおまえ?」
ムウはディアッカの豹変ぶりに驚きを隠せない。いつになく不安定な心情が垣間見える。
ムウを見返してディアッカは長い睫を伏せた。
「この状態であんたを誤魔化すのは至難の業ってね・・・諦めたよ」
**********
───なあおっさん・・・『相思相愛』っていいもんなんだろうな・・・。
しばしの沈黙の後・・・ディアッカは床に座り込んでムウを見上げてそう呟いた。
先程までの苛烈な勢いは既になく、誰にも見せたことがないような静かで穏やかな表情をしている。
「おまえのそんな顔は初めて見るかもなあ・・・。ん?ディアッカ。しかも何を言い出すんだか、らしくないな」
返事をするムウの声はとても柔らかい。
「あんたと艦長を見ているとさ、こんなオレでもいいなって思うよ」
「どうしてそんなこと言うんだ?おまえもお嬢ちゃんとはそういう仲なんだろう?」
「あんたまでそう思っていたのなら、オレも役者になれそうじゃん?」
ディアッカはムウにそう言うと力なく笑った。
「オレとミリアリアはそういう仲じゃないさ。ま、いいとこ『医者と患者』ってとこかな・・・」
「医者と患者って・・・なんだよおまえそりゃないだろう?」
ムウは苦笑する。だが、ディアッカの言葉には妙に頷けるのもまた事実である。
こんな精神のバランスを崩したディアッカなどムウはおろか誰も見たことがないに違いない。
それだけにこのまま何も白状させずに帰したらどうなるのか・・・?そう思うとムウはとても不安になった。
そこで一計を講じる。こんな時に役に立つのが酒というもの。
極微量のアルコールでも、今のディアッカの状態ならいい自白剤になるだろう。
なにしろいつも皮肉混じりの冷笑を欠かさず、尊大で自身家。クールなのか熱いのか、軽薄なのか真摯なのか傍から判断するのも困難なのがこの男、ディアッカ・エルスマンなのだ。そんな男が今思わぬ弱い面をムウに見せている。
冷蔵庫から極微量のアルコールを含んだ炭酸飲料を取り出してムウはディアッカにそれを渡した。
「ま、飲めよ・・・」
「ああ・・・サンキュおっさん・・・」
ディアッカはムウからアルコール飲料を受け取るとそれ一気に飲み干した。
「なあ・・・これもう一本貰ってもいい?」
「あ?ああ・・・ほら・・・!」
ムウはディアッカに請われるままにアルコール飲料を手渡すが、「程ほどにしておけよ・・・」と釘をさすことも忘れない。
「おまえはお嬢ちゃんが好きなんだろう?告白までしたのに『医者と患者』だなんて寂しいこと言うなよ・・・」
ムウは心からそう思った。
ディアッカが捕虜となり独房にいた頃からのふたり間のいきさつを知っているだけに、うまくいくことを願っていた。
「オレとミリアリアはおっさんと艦長のような『相思相愛』にはなれない・・・。初めから解っていたんだけどなオレ・・・」
「おっさんの言うとおり多分これはオレの初恋。笑ってもいいぜ?自分でもおかしくて笑っちまうんだからさ」
口元に微笑を浮かべてディアッカは遠い眼をした・・・。
ディアッカの容姿はコーディネイターの中にあってもひと際豪奢で秀麗だ。黒人系の人間が持つ俊敏な運動神経と躍動的な肢体。それを構成する見事なまでの筋肉のつきかた。加えて白人系の人間がもつ淡い色の髪と瞳。アングロサクソンに代表されるような端整でスッと通った目鼻立ち・・・。ディアッカの容姿はこれらの人種における長所の集合体なのである。
しかも幼少より英才教育を受けているだけあって頭脳明晰で多才。先日ピアノの腕前を披露した件でもそれは解る。士官学校卒業時には上位二十名にしか着用を許されない赤服を着ていたのだし、オマケに生家はプラント指折りの金持ちで権力もある。こんな彼を周囲が放っておく訳がない。
恋人志願の女は山ほどいた。ディアッカの気性や性格や好みなんてどうでもよく、容姿端麗で金と権力があればそれでいいのだ。
女のほうではディアッカに夢中になったかもしれないが、ディアッカにとってはそんな女はみな遊びで恋愛関係に至るなど皆無。
だが、『ミリアリア・ハウ』はどうだ。
ふたりの出会いはもう最悪というより論外だった。
ミリアリアにとってはディアッカがエリートなのも秀麗なのも関係ない。
恋人を死に追いやった憎しみを殺意に変えて対峙した相手。仇のコーディネイターである。
だが、彼女は必死で自分と戦った。
ディアッカが流した血はミリアリアを正気に戻した。
コーディネイターもナチュラルも能力こそ違えども同じ『人間』だと彼女は頭でなく感情で理解したのだ。
コーディネイターやナチュラルという人種を飛び越えて彼も『人間』だと認めた。
なんの打算も思惑もなく、ディアッカを『人間』として扱ったミリアリアにディアッカが不思議な感情を抱いたのはきっと必然。
不思議な感情。それはディアッカにとってはとうの昔に記憶の片隅に追いやったものだ。
今は亡き母親が示してくれた無償の愛情。なんの打算も思惑もなくただ健やかで幸せになることだけを願った愛情。
そんな愛情をミリアリアに感じたのだ。ディアッカの持った不思議な感情・・・それは深い愛情に裏打ちされた恋心。
遅まきの初恋は深い愛情に支えられた至上の恋・・・・・・。
「ディアッカ・・・『スペクタクルなグランドロマン』にするんだろう?違うのか?」
ムウは穏やかな声でディアッカが以前口にした言葉をなぞる。
───『スペクタクルなグランドロマン』・・・それは『壮大な恋愛、言葉通りならそういう意味だ。
「おっさん・・・『グランドロマン』の本当の意味って知ってるか?」
意味有り気にディアッカはムウを見やる。その顔は自分自身をあざ笑うかのような表情。
「・・・『グランドロマン』というのはオペラでいうところの悲恋の代名詞。ハッピーエンドにはならない恋の総称」
「だから・・・オレは『グランドロマン』にするってあのとき言ったんだよ?おっさん・・・」
「なんで・・・そんなこと言うんだおまえ」
ディアッカとミリアリアの仲は睦ましいものだとムウはずっと思っていたのに。
「いいんだ・・・ちゃんとオレは解っていたんだから。いつかは覚める夢だってことはね」
で・・・今はもう夢から覚める時間なのさ・・・。
(2005.1.19) (2005.8.27 改稿) 空
※ このあたりから前に書いた話が結構出てきます。前の話では釈然としなかったことの答えの集合体なのが
『フライリグラード』という話。
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