格納庫での業務を終えてディアッカが自室へ向かったのは既に午前0時を廻った後だった。
途中、医務室に寄って艦医の許可のもとで簡易携行食と点滴のパックセットを2本受け取る。
「どうしたんだい?あの娘また具合が悪いのかい?」
「ああ・・・いつものやつさ。睡眠不足と精神疲労ってね・・・」
「おまえも大変だなあ。あちこちに借り出されたうえ、病人の面倒まで看ているんじゃなあ・・・。身体こわすなよ」
艦医の言葉に軽く頷いて医務室を出ると、今度は通りがかりのノイマンに声を掛けられた。
「今上がりか?エルスマン」
「ノイマンさん。今までブリッジ?ってもうシフト交代の時刻ね」
「ああそうだよ。ところでその点滴パックはハウのやつ?」
ディアッカの抱えているパックを見てノイマンは柔和な笑みを漏らした。
「そうだけど・・・あ、そうだ!ミリアリアのシフトってどうなっているんだろう。交代しなくていいのかな?」
「大丈夫。ハウは明日・・・ってもう今日か。1日休みだから問題ないよ」
「それは好都合・・・っと。休み明けにはちゃんと業務に復帰させるからまかせといて?」
ディアッカの受け答えは軽妙だ。
「しかしおまえもよくやるな。殆どハウの保護者じゃないのか?」
苦笑するノイマンにディアッカはウインクで返答する。
「彼女とお医者サンごっこ出来んのよ?ヨダレもんじゃないの?」
そう言って立ち去るディアッカの後姿を見送りながらノイマンは複雑な思いを隠せない。
(恋人の振りも想うだけの恋も・・・きついだろうに・・・)
フライリグラード(3)
自室のロックを解除してディアッカが室内に入ると、ミリアリアはまだ眠っていた。
(余程疲れていたんだな・・・)
朝の食堂から連れ出してから半日以上経っているが、まだ目覚める気配はない。日頃無理を重ねているうえに休憩室でのピアノの件が堪えたのだろう。精神的な痛手はそう簡単に回復しない。。
天井から下がるフックに点滴のパックを吊るすとディアッカはミリアリアの額にそっと触れる。熱はないようだ。
少しの間ミリアリアの寝顔を見つめていたディアッカは、その額と頬にひとつずつキスをおとした。
普段AAのあちこちで見られるミリアリアに対するディアッカのキスの光景だが、ひとつ違うのはそのあと唇に自らのそれを重ねたことだ。
ミリアリアは知らない。
彼女が眠っている間のディアッカの行為は彼だけの秘密。
それ以外でミリアリアの唇にキスをしたのは実は数える程しかないのである。
しかもそのうちの半分は衰弱したミリアリアに処方した薬を口移しで飲ませただけだ。
ノイマンの思うところは正しい。
いろいろAAを賑わせた事件があった。
その結果ディアッカとミリアリアは公認の恋人同士ということになっているが、事実は全く違っていた。
ミリアリアを取り巻く淫猥な噂を排除するために状況を利用し、ディアッカが情報を操作した表面上の恋人関係にすぎない。
確かにディアッカはミリアリアに『好きだ』と告白したが、だからと言って付き合い始める仲ではない。
ディアッカが傍にいるのでおかしな連中が寄ってこない。つまり保護者もどきなのが今のディアッカの立場。
ふたりの間柄は以前となにひとつ変わっていないのである。
ふと見ると、ディアッカは自分が作業着のままであることに気付く。
汗と埃でドロドロに汚れているのはちょっといただけない。
(うえ〜・・・先にシャワー浴びて来よ)
シャンプーで髪を洗い上げるとオールバックに固められた髪は途端になだらかなウェーブを描く。
こんなときのディアッカは美少年といった感じだ。
普段の大人びた印象から急に歳相応の顔になるので人前で髪を下ろすのがディアッカは好きではなかった。
こざっぱりと身体を洗い流してシャワールームから出るとすぐさま髪を拭き上げる
タオルドライした髪をブラシで撫で付けていると傍らのベッドから声がした。
「ディアッカ・・・」
自分を呼ぶ声にディアッカが顔を向けると、ミリアリアが起き上がろうとしているところだった。
「薬・・・まだ効いてるみたいだから急に起き上がるんじゃない」
睡眠導入剤は常用してもクセにはならないが目覚めた直後は足に影響が残る。
「また・・・あんたの世話になっちゃったわね」
ミリアリアがぽつりと口にした。
「おまえの具合が悪いのはオレがあんなこと言ったからだろ?もしかして一晩考え込んじゃった?」
「・・・・・・・・・・・・」
ディアッカは口の端を歪めてクククと笑った。
冗談めかして何か言うときの彼のクセだが、ときにそれが冗談に聞こえなかったりするのが怖い。
「演奏料は無利子無期限でツケにしておくから気にしないで?」
「なんで・・・そんな言い方をするの?」
「無利子無期限のツケって言い方は嫌?」
オレって優しいと思うけれどねえ・・・とディアッカはミリアリアの頬に掌を添えた。
その手を払いのけ、堪らなくなってミリアリアは叫ぶ。
「そんな言い方するくらいならどうして・・・『あれは冗談だ』って言ってくれないのよ!」
「冗談・・・?」
ミリアリアの声を受けてディアッカの顔つきが大きく変わった。
「せっかくヒトが親切に『無利子無期限のツケ』でいいって言って棚上げにしようとしてるのに!それとも何?冗談だって言わないと安心出来ねえってか?」
「あんたの言うことはどれが本気でどれが冗談なのか解らないのよ!」
「まあね〜!オレも健全なオトコノコだから?好きなオンナがそばにいればさあ、それなりに手を出したいわけよ?」
「・・・・・・」
「でもさあ・・・そのオンナがコイビト亡くして傷心の余り身体をこわしていたら、そうそう鬼畜な事も出来ないでしょ?心優しいオレとしては傷が癒えるのを待ってやりたいとは思うのよ。一応はさ。けれどもこんな明日をも知れない身の上じゃ希望だって持ちたいってモンじゃない?」
ディアッカはニコニコとおどけた調子で言ってはいるが、その眼は決して笑ってなどいない。
「なもんでね〜!お約束のひとつも欲しくなるってね?たとえそれが無利子無期限のツケ状態であってもさあ・・・『もしかしたら』って励みにはなるでしょ?」
ミリアリアはそう言うディアッカの顔を務めて見ないようにした。
「だからね、それくらいはおまえにも協力してもらいたいのさ。支払いは無利子無期限でOKなんだしさ・・・」
ディアッカは机からアルコール綿を取り出すとミリアリアの腕を拭きあげる。
「ま、この話はこれ位にして、点滴をうつからちょっと腕の力抜いて」
そう言うディアッカの顔はもう普段の彼のそれに戻っていた。
「コールベルを渡しておくから何かあったらこれで呼んでくれる?オレはちょっと用事があるから外に出るんでさ」
こくりと頷いてミリアリアは眼を閉じた。
眼の前の男がどんなに狡猾で油断出来ない存在だとしても、その医療行為は信じていいとミリアリアは思った。
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人気のない通路の白い灯りが寒々しく映る。
ディアッカは別に用事があるわけではない。
ミリアリアがゆっくり休めるように『用事がある』と嘘を吐いて部屋を出たのだ。
行くあてもなく通路を漂っていると・・・やがて展望デッキへとたどり着き、ディアッカはその扉を開けた。
中に入ると、すぐそこは星の海だ。
たいして広くも無いそのスペースに佇むと、もう何年もこの空間にいる様な・・・そんな錯覚を起こす。
ヘリオポリス襲撃戦からはまだ僅か半年余りしか経っていないというのに、その間の出来事はディアッカの未来を二転三転とさせた。
栄光の赤服着用を許された身から投降捕虜となり、刃物で殺されかけた挙句、AAに二ヶ月近く拘禁されるなど一体誰が想像しただろうか?
いつしか自分を殺そうとしたミリアリアに恋焦がれ、釈放の後は彼女を護るためにAAと行動を共にしている自分がいた。
恋焦がれるミリアリアを想うとき、ディアッカの心は温かい光に包み込まれる。だが・・・。
光があるところは当然影も存在するのだ。
『演奏料は・・・今夜一晩オレと共に過ごすこと・・・』
こんな事を言えばミリアリアが思い悩むことは解っていた。
けれどもディアッカはどうしても口にしてみたかったのだ・・・。
『ミリアリアを追い詰めてその苦しむ顔が見たい』
誰よりも愛しい大切にしたい存在はその愛情が深まれば深まるほど・・・追い詰めて粉々に壊したくなる存在へと変化してゆく。
『ミリアリアを大切に慈しみたい自分』そして・・・『ミリアリアを追い詰めて壊したい自分』
そのどちらもがディアッカの心の中にある真実・・・。
誰よりも大切なミリアリアは同時に彼の最も苦手な存在・・・。
『光と影』に踊らされて一体自分が何処へ行き着くのか・・・。
それはまだディアッカにも解らない。