AAから一歩外に出れば広がるのは無限の闇と光芒。
朝や夜などというのは単に時刻として刻まれているものに過ぎない。
星の海では朝と言えば朝になるし、夜しかないと言ってしまえばそれもまた正しい。
フライリグラード(2)
「ディアッカ!おはよう」
「おはよう。サイ」
「これから朝食?」
「ああ。おまえもか?」
食堂は珍しく人で溢れかえっていた。
先日のコロニー・メンデルでの攻防戦でAAはかなりのダメージを受け、緊急かつ迅速な修理が必要となり、エターナルやクサナギからも修理のための増援部隊が派遣されていたためだ。
二人はようやく空いているテーブルを見つけてトレーを下ろすと、横にムウの姿を見つけてお互いそれぞれ挨拶を交わす。
「よう二人ともおはようさん!これから業務なのか?」いつも屈託の無いムウの言葉にそれぞれが返事を返した。
「ああ・・・おっさんも元気?昨日はどうしたんだよ?せっかくオレが珍しくピアノなんか弾いちゃってるのに途中でいなくなっちゃってさあ!ってサイもだけれどな〜!」
「ごめんごめん!この間の傷が痛み出してな。そっと席を立ったらこいつらもついて来ちゃったんだよ。なんだかお嬢ちゃんと2人でいいムードなんで気を利かせたつもりだったんだけれどねえ」
「ふうん・・・そいつはど〜も!おかげでムード満点のラブラブタイムを楽しめちゃったわ。オレ」
いちごのゼリーを頬張りながら返事をするディアッカに、サイは笑って尋ねてみた。
「でもさ・・・ディアッカって苦手なものって無いの?面倒だのうざいだの言ったって結局は何でもOKだろう?」
キラといいアスランといい、ディアッカといい自分の周りにいるコーディネイターは揃いも揃って最高度のレベルだと常日頃サイは思っている。
キラがコンピューターのハッキングや情報解析に興味を持ち趣味としていることや、アスランが機械工学や材料工学に長けて自分でもロボットを組み立てる程の腕だということも知っている。
だがディアッカはどうだろう。
彼はプラントでも最高の英才教育を受けたと聞いているのに何に対しても無関心なのがサイのみならず、ムウやキラ達も不思議に思うところだった。
なのにこちらで何かを要求すると、まず過不足無くやってのけてしまう。それも平然としてだ。
「苦手なものねえ・・・ま、オレって優秀だから苦手なものなんてないんじゃないの?」
口元を歪めてクククと笑う仕草は何かを思いついたときに出る彼の癖みたいなものだが、このときもやはりそうだった。
「でも・・・ひとつだけあるね」
珍しく真剣な面持ちでディアッカはサイとムウの顔を眺めている。
「何なんだ?」ムウが返事を促すと傍らの男はいけしゃあしゃあと、こう答えた・・・。
「ミリアリア・ハウ」
「ディアッカ・・・おまえそりゃちょっと冗談キツイんじゃないの?」
普段は飄々として軽快な態度を崩さないディアッカが恋人を亡くして傷心のミリアリアに好意を持っていると聞いたときには心底驚いたものであるが、恋人というより保護者の様に寄り添う彼にサイやムウは好感を抱いていた。
昨日の休憩室でのピアノ演奏も何だかんだと言いながら、ミリアリアを喜ばせるために弾いていたことも解っている。ムウとサイはそんな彼一流のジョークだと思ってそれを軽く受け流した。
**********
「あ・・・!ミリィ!こっち空いているよ」
サイの声にミリアリアがこちらを向いた。
食堂はまだ人でごった返しており、空席を見つけるのも困難である。ミリアリアも周囲を見渡しているところをサイが見つけたのだ。
ミリアリアはディアッカの姿を見て一瞬躊躇したが、不振に思われても困ると思ったのかゆっくりとトレーを持ってやって来た。
ディアッカの隣に座ると、横から彼の腕が伸びる。
ミリアリアの頬と額にひとつづつキスを落とすのはここではもう見慣れた習慣で、食事のときと夜部屋に戻るときには必ずこの光景を見ることができる。『キス魔のディアッカ』と陰で噂になっている有名な行為である。
「よく眠れた?」ディアッカの態度はいつもと何も変わらない。
変わっているのはミリアリアの方だ。まず顔色がよくない。寝不足独特の黒ずんだ顔をしている。
「あ・・・チャンドラさんが急病でシフトの交代ができなかったから通しで業務に就いていたの。今から休みに入るところ・・・」
「ふうん。だからそんな顔色をしているわけ・・・?」
ディアッカの態度はそっけないのに・・・その瞳は射るように鋭くて思わずミリアリアは眼を逸らした。
「そうよ・・・」それきりミリアリアは黙りこくる。
「ねえ、ミリィ。昨日はあれからどうだったの?俺達途中から席を立ったんで聞けなかったんだけど、ディアッカに何を弾いてもらったの?」
「綺麗な曲だったんだけど題名は忘れちゃったわ・・・」サイの問いかけにやっとそれだけ返事をした。
心音が自分の中で段々大きくなってゆくのをミリアリアは感じていた。
「なんだよ!もう忘れたのかよ!『愛の夢』って言っただろ?オレ完璧に演奏したんだぜ?解ってるおまえ?」
ディアッカの表情は心底意地悪気に見えてミリアリアの胸は苦しくなる。
「で?演奏料は貰えたの?ディアッカ」何気ないサイのひと言にディアッカがニヤニヤと笑う。
「まだ貰ってないよ。ミリアリアには当分払えないからツケにしてやったのさ?利息付で」
クククと口元を歪めた例の笑い方をしてミリアリアに流し目を送る仕草が妙に色っぽくてサイとムウは溜息を漏らした。
「ねえ・・・お嬢ちゃん。演奏料って何を要求されたんだい?」
ムウの言葉にミリアリアは今度こそ心臓が止まる気がした。
『演奏料は・・・今夜一晩オレと共に過ごすこと・・・』
ディアッカの言葉が頭から離れない・・・。
昨夜はチャンドラの急病で半ば強引にシフトを代わったが、そんなことで誤魔化されるディアッカではない。
現にその瞳はミリアリアを嘗め回すように見つめている。
肉食獣が獲物を捕らえる前の緊張感はきっとこんな感じなのだとミリアリアは思った。
自分は肉食獣に狙いを付けられた獲物。
もう・・・こんなところには居たくない。早くここから出ないと神経が持たない。
「お嬢ちゃん具合悪いのかい?」ミリアリアのただならぬ様子にムウが声をかけた。
ミリアリアの額からは玉のような汗が浮かんでいる。
その様子を彼女の隣にいたディアッカは席を立った。
「身体が本調子じゃないのに、通しのシフトなんてやるからだよ!」
ディアッカの呆れかえった声にサイやムウも同意する。
「こいつを看るからおっさん悪いけれどマードックさんに言っておいてくれる?オレの仕事は多分まだ先だから番が来たら内線で知らせてくれればいいよ」
そう言ってディアッカはミリアリアを軽々と抱き上げた。そのまま食堂を後にする。これももうお馴染みの光景である。
「ほんと、オアツイことで・・・」サイとムウは顔を見合わせて苦笑した。
**********
「お願いだからもう降ろして・・・ディアッカ」
そんなミリアリアの懇願を無視してディアッカは自室へと向かっていた。
その様子を咎める者は誰もいない。
ディアッカとミリアリアは周囲には微笑ましい恋人同士として認識されているのだから当然のことだ。
ロックパスを解除して自室に入ると、ディアッカはミリアリアをそっとベッドに横たえた。
靴とソックス、それに軍服を脱がせてタオルケットを掛けると、机の鍵つきの引き出しから小さな薬瓶を取り出して水といっしょにナイトテーブルの上に置く。
一粒だけ取り出してディアッカは水といっしょに口に含んだ。ミリアリアをそっと起こして口移しで飲ませるとミリアリアの喉がそれを飲み込む。
その状態のままでディアッカはミリアリアの額と頬にキスをおとす。
先程までの冷たさは微塵もなく、あるのはただミリアリアへのいたわりだけの様子に彼女は安堵の息を漏らした。
「病人に手を出す趣味はないから安心して眠っていいよ。今飲ませたのは睡眠導入剤。睡眠薬とは違うから常用しても後にはそんなに残らないし」
「ディアッカ・・・・」
「昨夜ここに来なかったことは気にしなくていいよ。来ないことは解っていたから」
「演奏料はツケにしておいてやるよ。利息なしの無期限でね・・・」
「だから今はちゃんと眠ってくれよ?オレは格納庫に行くから出て行くときはロックしていって」
そういい残してディアッカは部屋を後にした。
格納庫に向かう通路を漂いながらディアッカは思う。
(ディアッカって苦手なものって無いの・・・?)
(苦手なものねえ・・・)
───だから『ミリアリア・ハウ』だって・・・。
そうひとりごちてディアッカは格納庫への通路をただひたすら降りていった・・・・・・。