───なんだ・・・おまえそんな所で何してるんだよ・・・。

その声に白いシルクのワンピースを翻して少女が笑う。
少女が手にしているのは白やピンクのコスモスの花で、風に煽られては花びらがふわりと舞い上がる。

「こんな所に来てはいけませんよ。あなたは・・・ここにいるべきひとじゃないから早く戻らないと・・・」

少女は微笑みを残した表情で、だが毅然とディアッカを諭した。

「どうしてさ・・・!オレはおまえの監視員じゃないか!」

「いいえ・・・あなたの役目はもう終わったんですよ。だから早くみんなの所へ戻って下さい」

少女はそう言ってディアッカの後方を指差した。

「イザーク・・・それにアスラン・・・?」

少女が指し示す方向にはディアッカの親友であるイザークの他にアスランや・・・どういうわけかなじみの無い顔の者たちまでがまざっている。

「あなたのいるべき所はあのお友達が待っている場所です。こっちに来てはだめですよ・・・」

トンっと背中を押されてディアッカは少女の元から遠ざかる。

「あ・・・おまえは・・・」

「大丈夫。私はずっとここであなたのことを見ていますから・・・」

「・・・・・・・ミリアリア!」

ディアッカはミリアリアと呼んだ少女に向かって腕を伸ばすが、みるみるうちに遠ざかる。
やがて何も見えなくなりそれきりディアッカのいる世界は暗転する───。






アスタロト(5)






意識を取り戻したディアッカが最初に見たものは染みが浮かんだ天井だった。
物音ひとつしない部屋をゆっくりと眺め回す。
視界に飛び込んできたのは点滴のパックと細いチューブで、よくよく見ればそれはディアッカの腕へと繋がっている。

(ここは・・・どこだ?病室なのか?)

おかしい。自分はバスターに乗っていたはずだ。なのにどうしてこんな病室とおぼしき部屋で点滴の処方なんか受けているというのだろう。
訝しげに身体を起こすと、今度は激痛が全身を走りぬける。

その時、パシュウというドアの開く音とともにひとりの少年が部屋に入ってきた。
少年は地球連合軍の青い軍服を着ており、その肩には緑色のロボット鳥がちょこんと乗って鳴いている。

「あ・・・気がついた?」

少年の言葉にディアッカは再び周囲を眺めやる。

「君はもう三日も意識不明だったんだよ・・・」

「三日・・・?意識不明ってオレが?」

「うん・・・。最後の戦闘で君のバスターは大破して・・・デュエルのパイロットが君をここに連れてきたんだ」

「最後の戦闘って・・・じゃあもう戦争は・・・」

「・・・終わったんだよ」

「・・・・・・・・・」

三日も意識不明だったなんて、それだけでも驚きだというのに戦争まで終結しているとは・・・。
ディアッカにはそんな記憶などまったく無い。

「ねえ・・・」

同世代だと思われる地球連合軍の軍服を着たその少年は、穏やかな瞳を向けると自分のポケットから何かを取り出してディアッカに見せた。
ハッとして自分の服装に眼を向けたディアッカは自分が白いパジャマ姿であること、そして着用していたパイロットスーツが何処にも見当たらないことにに気付く。
少年がディアッカに見せたものは、別れの間際にミリアリアがディアッカに捨てて欲しいと託したあの銀色の懐中時計だった。
確かディアッカはその時計をずっとパイロットスーツにしまい込んでいたはずだ。

「それ・・・どうしておまえが持っているんだっ!?」

ディアッカは手を伸ばして慌てて少年の持っているものを奪おうとしたが、激痛の走る身体はバランスを崩し、逆にディアッカはベッドから落ちそうになった。

「どうして・・・って?それは僕のほうこそ君に聞きたいんだけれど。ああ、自己紹介がまだだったね。僕は・・・キラ・ヤマトといいます。君はZAFTのディアッカ・エルスマンっていうんでしょう?アスランが教えてくれたんだよ」

「アスランって・・・あのアスラン・ザラかっ」

キラと名乗った少年から思いがけず仲間だったアスランの話が出てディアッカは思わず声を荒げてしまった。

「・・・うん。でも・・・今はこの時計をどうして君が持っていたのかそれを知りたいんだ」

「・・・・・・」

「これはミリィが持っていた時計で・・・その・・・ミリィはJOSH−Aで行方不明になったって聞いてたから・・・」

キラはそこまで言って口を閉ざした。

「あいつは・・・。ミリアリアはオレ達の部隊長だったクルーゼって奴にJOSH−Aから攫われてきたんだ・・・」

ディアッカは懐かしそうに宙を見上げた。
そして、その後ミリアリアは捕虜となり、クルーゼの命令でディアッカが監視員として彼女についていたことをキラに話した。
監禁こそしてはいなかったが、ディアッカの部屋でいつも空を、そして海の彼方を見つめていたミリアリア。

「おまえ・・・キラっていったよな?あいつよくおまえのことを話してたよ」

「ミリィが・・・?」

「ああ。コーディネイターの仲間がいて、ストライクに乗っていつも命がけで自分達を守ってくれてたって・・・」

「そう・・・」

「あいつは不思議なやつだったよ。どうも元からコーディネイターに対する偏見が薄いみたいでさ・・・オレのことも怖がってなかったし。でもあたりまえか。おまえみたいな奴が仲間だったなら別に不思議じゃないよな」

ディアッカは低く笑うとキラに背を向け静かに言った。

「その時計は・・・あいつがずっと大切に持っていたものさ。オレがあいつの監視員じゃなくなったとき、知らない奴に取り上げられるくらいならオレの手で捨ててほしいって渡されたんだ。ちょうどいい。それはあいつが生きていた証だって自分で言ってたくらいだからおまえから誰かに渡してくれ・・・まあ形見になっちまったけどさ・・・」

背を向けるディアッカにキラは訝しげな視線を投げる。

「ねえ・・・ディアッカ。君はこの時計の中を見てはいないの・・・?」

「・・・見たことはあるぜ。あいつと彼氏らしい男が寄り添っている写真があったけれど?」

どこか投げやりなディアッカの言葉をキラがひきとる。

「違うよ・・・。ここに入ってるのは君とミリィが楽しそうに笑っている写真と君宛の手紙・・・」

「・・・え・・・?」

思わず振り返り、ディアッカはキラを凝視する。

「知らなかったの・・・?」

「嘘だ・・・!その時計にはあいつと恋人の写真が入っていたはずだっ!」

ディアッカは今度こそキラから懐中時計を奪い取ると震える手で蓋を開けた・・・。





**********




───今、何を書けばいいのか、自分でもよく解からないくらい慌てています。

あなたがシャワーを浴びている間にようやくこれを書いていますがあなたがこの手紙を読むことはきっとないのでしょうね。

たった二ヶ月という短い日々でした。
でも、どんな時でもあなたはいつも捕虜の私を大切にしてくれました。
あなたにとって私はただの厄介な捕虜だったでしょうけれど、大切なひとたちを亡くし、生きることすら苦痛だった私にあなたはとても優しくて、そして時々自分が捕虜であることさえ忘れそうになるくらい私も毎日が楽しかった。
時々冷たい口調で私を突き放すこともあったあなたですが、結局冷たくしきれずに最後はいつもやさしくしてくれたのが嬉しかった。
けれど・・・あなたにはあなたの幸せがあったはずです。
きっと恋人だっていたのでしょうに、こんな捕虜の世話をしなければならなかったあなたに、私は迷惑をかけてばかりで何ひとつ報いることが出来なかった。
明日、あなたから引き離された後、私の身はどうなっているのか今は想像もつかないけれど、確かなことはもう二度と私はあなたに逢えないだろうということです。

もし・・・私が捕虜なんかじゃなかったら・・・。

そんなこと言っても、捕虜になったからこそ私はあなたに出逢えたのですが、それでも私は思ってしまう。
捕虜なんかじゃなくて・・・対等の立場であなたに出逢っていたのならどうなっていたでしょうか。
やっぱりあなたに恋をして振られるのを覚悟の上で告白なんかしたでしょうか・・・。
バカみたいですね。あなたと対等の立場になっても実る恋じゃなかったでしょうに。

ディアッカ・エルスマン。

私は・・・あなたに逢えて本当によかった。
あなたと過ごした二ヶ月の間、私はずっと不幸じゃなかった。
私を大切にしてくれて・・・ありがとう。
あなたと一緒に過ごせて・・・私はとても幸せでした。
あなたに恋してずっと私は幸せでした。

明日、懐中時計をあなたに渡したら・・・きっとあなたは中身など見ないで誰も知らない所に捨ててくれるのでしょうね。
もし叶うならば・・・バスターから宇宙空間に捨ててくれることを願います。
あの真空の空間で朽ち果てることもなく、デブリ帯の塵になってずっと漂い続けることを望みます。


───ミリアリア・ハウ






よほど慌てて書いたものらしく、所々斜線で訂正されている箇所や文章になっていない単語の羅列も痛々しい。
そして、以前ミリアリアから取り上げ、覗いたこともある懐中時計の蓋にはディアッカとふたりで写っているセピア色の写真が納まっていた。

「これ・・・プレイランドの・・・」

ディアッカには見覚えがあった。

カーペンタリア基地にいた頃、ミリアリアと一緒に出かけたプレイランドで撮った写真だ。
セピアに加工された色合いが物珍しく、ほんのお遊びで撮ったものだ。撮り終えた後、ディアッカはミリアリアに預けたままずっと今まで忘れていた。

「ミリィ・・・君の事がとても好きだったんだね・・・」

「どうして・・・!」

「だって・・・これは自分が生きていた証だって言ってミリィが君に渡したんでしょう?」

「冗談じゃないっ!あんな自由の無い狭い部屋の隅でずっと空ばかり見ていたんだぞ!あいつはっ」

そうだ。来る日も来る日も自分を監視する男に抱かれ、慰み者にされていた毎日をミリアリアは本当に幸せだったと思うのか。
自分に手酷い仕打ちをした男にミリアリアは本気で恋していただなんていったい誰が信じるのか。

「でも・・・そこに書かれていることは本当だと僕は思うよ。他人から見れば不幸に見えるのかもしれないけれど・・・幸せかどうかなんて結局決めるのは自分でしょう?」

「でも・・・!」

「ミリィは君に恋して・・・大切にされてずっと幸せだったんだよ。だってミリィが自分でそう言っているんだもの」

「・・・・・・」

「その時計は君が持つべきものだと・・・僕は思うよ・・・」

キラは両手でディアッカの手と懐中時計を包み込み、力強く握らせると、深い微笑みを残して静かに病室を後にした。

ドアを閉め、ひとりになったキラの瞳から涙が一筋、また一筋と零れてゆく。
あの最後の戦いのさなか、キラの乗ったフリーダムの背後から放たれた光弾はクルーゼが撃ったものではなかった。
だが光弾は間違いなく脱出艇を狙って放たれ、的中し、爆散したのだ。
AAやクサナギ、エターナルのクルーたちの目には、バスターがフリーダムを援護したかに見えただろう。
だがキラは解かっていた。バスターが何を狙ったのかを。
キラは真実を自分の胸に生涯秘めておこうと心に誓った。真相を語ったところで誰も幸せにならないのだ。
それに・・・光弾を放った人物はこれからの人生をきっと後悔し続けるだろう。
たとえ他の誰かが彼の罪を赦したとしても、彼は自分自身を生涯赦しはしないだろう。キラはひとりそう思う。

(ミリィ・・・)

いつも可憐に笑っていた亡き少女の面影にキラはそっと黙祷を捧げた。






**********






数ヵ月後───
戦後の後始末のため、ディアッカとイザークはZAFT軍のカーペンタリア基地に赴いていた。
戦功を高く評価され、ふたりは近く司令官職に就くことが決まっている。

「ああ・・・そういえば昼食まだだったな・・・」

ディアッカの声にイザークが時計を見る。時刻は既に午後二時をまわっていた。
基地内のレストランに立ち寄り、カラン・・・と、ドアを開けてふたりは中に入っていく。

「いらっしゃいませ。あちらの窓際でよろしいですか・・・?」

「ああ・・・」

軽く返事をして席に着くと、ふたりはあれこれ今後についての談笑を始めた。

「失礼致します」

ウェートレスが氷水の入ったグラスをコトリと置いた。その数は・・・三つ。
それを見てイザークはジロリとウェートレスに一瞥をくれる。

「おい・・・俺たちはふたりだぞ・・・どうしてグラスを三つも置くんだ・・・?」

「あ・・・そうなんですか・・・?でも店内に入られたとき、お客様方の後ろに小柄な女の子がいらっしゃったんですよ?それに、こちらの席にご一緒された様でしたし・・・」

「女の子・・・?」

「はい・・・。栗色の髪を外巻きにした蒼い眼の可愛らしい方で・・・でも違うのでしたらこちらはお下げいたしますね・・・」

ウェートレスはグラスを下げようと手を伸ばした。

「・・・いいよ。そのまま置いといてくれる?」

微笑みながらディアッカがウェートレスの手を止めた。

「よろしいのですか?」

「グラスのひとつくらいあっても邪魔にはならないさ・・・。あ、じゃオーダーいい?」

ディアッカは手短に注文をすると、イザークに向き直り静かに笑った。

「悪い!外でタバコ・・・!」

パチリとウインクをひとつ決めてディアッカは外へ歩みを向けた。

「ああ・・・」

席を立つディアッカの後姿をぼんやりと眺めていたイザークだったが、ディアッカの後ろに何かの影を認めると突然腰を浮かしかけた。

(なんだ・・・あれは・・・)

ディアッカの後ろを茶髪の少女がついていく。
白いワンピースは所々がオレンジに映えてどこか幻想的な雰囲気である。
イザークの視線に気がついたのか、茶髪の少女がゆっくりとこちらを振り返った。

(あの女・・・)

少女はペコリとイザークに向かって一礼するとまたディアッカの後を追って消えた。

(そんな・・・そんなバカな・・・!)

狼狽するイザークの前でグラスの氷が溶けてカランと音を奏でた。





───なあ。おまえはそこにいるのか・・・?

ディアッカは外に出るとそっと後ろを振り返った。
だが、ディアッカの眼には何も見えない。

「どうやら・・・見える奴と見えない奴がいるらしいな」

今日のような現象は実はディアッカはもう幾度となく体験していた。やはりグラスがひとつ多く運ばれてきたり、
「かわいいお嬢さんですねー」などと声をかけられたり・・・。
ディアッカも初めは本気にしなかったのだが、こうも度重なる現象を目の当たりにするのだからきっと彼女はここにいるに違いない。
だが・・・どんなに瞳を凝らしてもディアッカ自身がそれを見るのは叶わなかった。

「空が蒼いな・・・」

ディアッカは銜えたタバコに火を点けると少女がいるであろう空間をじっと見つめた。

「苦しまなかったか・・・?」

(・・・・・・)

「おまえも運が悪かったよな・・・こんな男にストーキングされちまってさあ・・・」

(・・・・・・)

「捕虜と監視員じゃ好きになってもどうにもならなかったよな・・・」

(・・・・・・)

「なあ・・・!そこにいるなら何とか言えよっ!姿を見せろよ!あんな生活が幸せだったなんておまえは本当に思っていたのか!」

(・・・・・・)

「・・・ミリアリアっ・・・!」

ディアッカの頬を涙が伝う。
そして・・・あの最後の夜を思い出す。

重ねた躯の温かな熱と・・・耳元を掠める甘い声・・・。

(・・・ディアッカ・・・)

睦言のさなかにミリアリアがディアッカの名前を呼んだのは最初で最後のことだった。

最後の夜は女としてミリアリアを抱いた。少なくともそのつもりだった。
だが、ディアッカの意識はずっと過去を遡る。
初めてミリアリアを抱いた夜・・・。
ディアッカは弄ぶつもりなど毛頭なかった。ただ涙を流す彼女が哀れで切なくてそのままにはしておけなかった。
それから・・・ずっとずっと何度も何度もミリアリアを抱いた。
誰にも渡したくなくなかった。
ミリアリアを自分だけのものにしたくて・・・最後に殺した。
もう彼女はどこにも行かない。
ディアッカの願いはこうして叶った。

でも目の前の空間はただ風が通り過ぎるばかりでミリアリアの姿を映さない。









やがて・・・ミリアリアを撃ち殺してからのディアッカは少しづつ奇行が目立ち始める。

夜になるとカーペンタリアのあの部屋でディアッカはひとり月を仰ぐ。
部屋の灯りを全て消して月の光だけを部屋に招きいれる。
夜な夜な抱いたミリアリアはもうこの世にいないのに意識がそれを認めない。
クローゼットから白いサテンのワンピースを取り出し月光にさらすと光が当たった所だけがオレンジ色に変わる。
パッチワークのベッドカバーをその身に纏い、夢幻の世界に閉じこもる・・・。

「もういちど・・・プレイランドに行ってコアラを見ような・・・」

そうしたら彼女はまたディアッカにきっと微笑みかけてくれるだろう。

ミリアリアは熱となってゆっくりとディアッカの氷ついた心を溶かし続ける。
内側から溶け出した氷は水になって流れ、やがてディアッカの外見をも溶かし始める。
そして更に溶けた氷は冷気に晒されもう一度固まる。
だが、溶けた氷は二度と同じようには固まらないのだ。形を変え、不純物を含み、決して元に戻らない。





ピキ・・・ンと音が鳴った。





それは熱をもった氷が溶けて内部から壊れ、ひび割れてゆく音なのか。

それともクルーゼがあの世からディアッカを嘲笑する声なのか。

熱をもったディアッカの心は二度と元には戻らない・・・。
あの可憐な少女の面影を追い続けながらディアッカはゆっくりゆっくり壊れてゆく・・・。



ゆっくりと・・・ゆっくりと壊れてゆく・・・。











<了>

     (2006.11.16) 空

  ※  ようやくアスタロトを書き終えました。
      こちらはバッドエンドですが、ある意味幸せな結末なのかもしれませんね。
      ここまでお付き合いくださいまして本当にありがとうございました・・・!

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