窓に映るのは漆黒の闇とスノーパウダーのような光の粒子。
動力の音がゴウンと鈍く響き渡る展望デッキの片隅でミリアリアは来る日も来る日も黙って宙を見つめていた。
戦闘の直前、ZAFT艦から射出されたミリアリアの搭乗ポッドを拾い上げてくれたこのドミニオンの持つ雰囲気はAAと同型艦だというのに、妙に殺伐としていて味気ない。
おそらくはミリアリアと同世代なのだろうが、ドミニオンに格納されている新型MSの専属パイロットたちは人間というよりも本能のままに行動する獣に似ていてミリアリアは眉を顰める。しかも、明らかに軍人とは思えない人物が艦橋を支配しているの現状も不思議だ。
この人物に対面した時、ミリアリアはクルーゼから渡されたディスクを強引に奪われている。
ディスクの中身が何であったのかミリアリアには解からなかったが、自分がいきなり四階級も特別昇進した事実を考えれてみれば、それは軍事機密ではなかったのかと想像する。
ミリアリアは宙を仰ぎながら、ニヶ月前の光景を思い出していた。
「ミリィっ!ミリアリア!」
そう叫んだ声の主は死んだはずのキラだ。傍らにはAAの姿もあった。だとしたらトールもどこかで生きているというのだろうか。
(・・・そんなわけない)
ミリアリアの感情はどこか熱を失っている。
懐かしい大好きなキラ。そしてAA。本来ミリアリアがいるべき場所だというのに何故かそれに対する執着心が湧いてこない。
それよりもむしろ・・・。
(バスターはどうなったのだろう・・・)
と、気持ちがそちらに引きずられる。
そして、その感情はまるで自分の中にもうひとりの自分が存在するかのようにどこか虚ろなものなのだ。
それとは反対にくっきりと形を成すのは豪奢な金の髪と浅黒い肌、そして黒紫の瞳の男。
(ディアッカ・エルスマン・・・)
その男を想うときだけミリアリアの感情に熱が戻る。
敵であるコーディネイターのその男は酷薄な微笑みと時折示す優しさとが奇妙なバランスを保つ不思議な雰囲気を持っていた。
激情のままにミリアリアを翻弄し、もてあそぶかと思えば今度は強引に突き放してそれきり黙ってしまう。
それでいて何気ない仕草は優しくて温かい・・・そんな矛盾だらけの男にミリアリアは惹かれ、好意を持った。
捕虜から解放され、再び自由を手に入れたというのにディアッカのことばかり考えている自分が哀しい。
「ディアッカ・・・」
とめどなく零れ落ちる涙を拭おうともせずに、ミリアリアは男の名を呟く。
「ディアッカ・・・」
───ねえ・・・ディアッカあなたに逢いたい・・・。
アスタロト(4)
───CE.71年9月。
地球連合軍はNジャマーキャンセラーの情報を入手し、プラント本国を防衛する宇宙要塞ボアズを核攻撃で破壊した。
残るは第二の要塞と言われるヤキン・ドゥーエただひとつだ。これを粉砕すればプラントは丸裸になる。
地球連合軍は士気の衰えを知らず、ヤキン・ドゥーエに向かって進撃を開始していた。
これに対しZAFT軍は配列も新たに地球連合軍を迎え撃つ。
イザーク・ジュールとディアッカエルスマンは戦歴を高く評価され、これより先にクルーゼと同格の隊長職に就任した。
ふたりとも自らの部隊を率いて地球連合軍と対峙する。
ディアッカはずっと考えていた。
あのナチュラルの少女ミリアリアは結局何だったのであろうか。
クルーゼに命令されるまま同衾し、その監視員として彼女と過ごした毎日はたった二ヶ月という短い日々であった。
だが、ナチュラルとはいいながら、華奢で儚いその姿はディアッカの庇護欲を強く刺激し、独占欲を生じさせた。
守ってやらないと崩れ落ちてしまいそうなその風情にディアッカの感情は大きく揺らぐ。
ミリアリアはナチュラルの捕虜でディアッカの未来にはどうあろうと関わらない。
同情と好奇心から自分のモノにした、ただそれだけのことだというのにこの執着心はとうしたものか・・・。
ミリアリアがいなくなった後、ディアッカの生活は以前のように戻ったに見えた。
適当に女を抱いて遊んでいればミリアリアのことなど忘れてしまうと思っていた。
しかし・・・遊びで女を抱けば抱くほどディアッカの心は荒んでいった。
(違う・・・そうじゃない・・・ミリアリアはもっと・・・)
ミリアリアよりも遥かに美しい女を抱いているというのに、失望感だけが肥大してゆく。
(あいつは全身でオレに縋った・・・声を殺して・・・)
遊ぶだけの女が喘ぐいやらしいまでの嬌声。
(抱きしめれば折れてしまいそうな細い躯なんだ・・・)
どんなに美しい女も自分を満足させてはくれない。
ミリアリアを抱いたときのような高揚感を与えてはくれない。
最後の夜に抱いたときですらミリアリアは愛らしかった。
捕虜としてではなく、ひとりの女として抱いて初めてディアッカは自分を求める声を聞いた。
「ディアッカ・・・」
耳元を掠める小さな声にディアッカ自身も声を重ねる。
「ミリアリア・・・」
どこまでも堕ちてゆくような錯覚さえおぼえる甘美な時間はもう過去のものなのか・・・?
いや、過去なんかじゃない。
ならばもう一度手にすればいいのだ。今度こそ離さず自分の元に置けばいい。
───地球連合軍!攻撃を開始します!
オペレーターの声にディアッカの意識は我に返る。
(ドミニオンは・・・?)
ドミニオンはどこにいる?ミリアリアを乗せたあの地球連合軍の艦は・・・?
**********
───後にジェネシス攻防戦と呼ばれた戦いは凄惨を極めた。
地球連合軍の艦艇を殆ど失い、精神に異常をきたしたアズラエルはドミニオンの艦長であるナタル・バジルールに銃口を向け、ひたすら自滅への道を進んでいた。
「総員退艦せよ!」
ナタルの言葉に残ったクルーはわれ先へと脱出艇に向かう。ミリアリアもクルーに腕を引かれ、脱出艇に押し込まれていた。
ギュウギュウに押し詰められた脱出艇の窓からミリアリアは光の渦を追いかける。
ドミニオンは文字通りAAによって轟沈され、闇の中に溶け込んでゆく。
それでも戦いは収束する気配を見せず、未だ混沌とした空間に光点を残しては消えゆくばかりだ。
至近にAAの姿を見つけた脱出艇は救助を求めてそれに近づく。
そこへ闇に紛れるかの如く黒いMSが接近し、AAに襲い掛かった。
キラの乗機フリーダムは素早くそれを感知しするや常人では考えられない早さでMSを迎え撃つ。
「あなたは・・・っ!クルーゼ・・・!?」
「おや・・・君かね?キラ・ヤマト・・・」
辛らつな笑いを口元に浮かべ、クルーゼはキラを攻撃する。ドラグーンシステムは全機能を解放してキラを追い詰めてゆく。
自在に動くドラグーンは小さすぎて的になる前にキラの攻撃をかわし、その隙にMS本体がキラのミーティアをサーベルで切り裂いた。
キラはミーティアを解除してどうにかフリーダムを立て直しクルーゼの乗った黒いMSを探し求める。
(あれは・・・?)
キラのは自分の視界に突如現れた脱出艇をみつめる。
どうしてこんなものが漂っているのか解からなかったが、脱出艇の窓に張り付く茶色の外ハネの髪に見覚えがあった。
「ミリィ・・・!」
キラはどうにかクルーゼからの攻撃をかわすと脱出艇を安全な場所に移そうとした。
執拗に攻撃を加えるクルーゼだが、脱出艇には当たらない。
ミリアリアの姿を至近で見つめるキラの瞳に安堵の色が思わず浮かぶ。
だが、ここからが悲劇の始まりであった。
敵はクルーゼだけではなかった。
キラの死角から何者かが赤みを帯びた光弾を発射して脱出艇を打ち抜いた・・・。
**********
ミリアリアはキラたちの戦闘を心配そうに見守りながらも心はではもうひとつ別の機影を探していた。
(バスターは・・・あのひとは・・・どこ・・・?)
脱出艇に乗り込む直前まで、ミリアリアはドミニオンの艦橋からバスターの姿を追っていた。
だが、脱出艇に乗り込むと同時にバスターの姿を見失った。
キラは必死になって脱出艇を守ってくれているというのに、ミリアリアの感情は別の男を追い求めている。
(あ・・・!)
キラの背後に見慣れた機体を発見する。
(バスター!)
ミリアリアは脱出艇の窓からバスターの機影を確認すると自由にならない手をそれでも懸命にバスターに向けた。
(無事だったのね・・・)
だが、そのバスターは銃口を脱出艇に向けるとほどなく光の点が輝き、みるみるうちに脱出艇へと近づいてくる・・・。
「ディアッカ・・・!」
───それがミリアリアの最後の言葉だった・・・。
**********
ディアッカはドミニオンから脱出艇が射出されたのを目撃する。
おそらくミリアリアもその中にいるだろうと確信はしていた。
しかし、混乱した戦場では自分の身を守るのがやっとで、いつの間にかディアッカは脱出艇を見失ってしまった。
(どこへ行った・・・?)
周囲を見回すも小さな脱出艇の姿は無い。
殆どまともに動く艦もなく、戦艦やMSの残骸が新しいデブリ帯を作り始める。
(あいつは・・・ミリアリアはどこだ・・・?)
不安に駆られたディアッカはミリアリアの姿を追い求めた。
やがて、クルーゼの乗ったプロヴィデンスガンダムとフリーダムが相撃つ姿を視界に捉えた。
と、そのフリーダムがなにやら小さな艦艇を必死になって守っている。
(あれは・・・)
フリーダムが懸命に守る小さな艦艇は何であろう。やがて数秒の後ディアッカはそれが自分の探していた脱出艇だと気がついた。
(・・・そこかっ!)
ディアッカも脱出艇に近づこうとするが、既にエネルギーはエンプティを表示し、思うように動けない。
そしてフリーダムはクルーゼの攻撃をかわし、遂に脱出艇にその腕を伸ばした。
この時ディアッカが何を思って銃口を構えたのかその意図するものを誰もしらない。
(フリーダムに連れて行かれたら・・・!)
気がつけばディアッカはバスターの巨大なガンランチャーを脱出艇に向けて放っていた・・・。
**********
ミリアリアは爆散する脱出艇の中で瞬時に全てを悟っていた。
(約束・・・守ってくれたのね・・・)
ひとつの情景がミリアリアの心を掠めていった。
あのプレイランドのボートで触れたディアッカの銃。
どんなに恋い慕っても目の前の男はただ自分を見張るだけの監視員なのだと思い知らされた悲しみ。
恋心は秘めて殺し、かわりにディアッカに告げた言葉は・・・。
「いつか・・・私があなたから逃げたなら・・・苦しまないように一発で殺してください・・・」
(本当・・・ちっとも苦しくないね・・・)
四肢を炎に焼かれながらそれでもミリアリアの瞳はずっとバスターに・・・そしてその中にいるであろう恋しい人を追っていた。
(やっと自由になれる・・・)
ミリアリアの頬を涙が伝うが、もう本当は自分の身体などすでに無く、心がそれを感じているだけなのかもしれない。
(ディアッカ・・・)
宇宙の原子となってゆく身体を抱きしめようとしてミリアリアの意識はそこで止まった。
───脱出艇が燃え尽きた後、ディアッカはその場から動けずにいた。
自分は今・・・何をした・・・?
ああ・・・フリーダムを狙い銃口を向けた。
フリーダム・・・?
いや・・・違う。
自分が銃口を向けたのは・・・。
脱出艇・・・?
・・・それも違う。
自分が銃口を向けた相手はただひとりだ・・・。
「・・・ミリアリア・・・?」
そうだ・・・彼女はどうなったのだろう・・・。
銃口を向け、脱出艇を破壊して・・・それから・・・。
彼女は誰にも渡さない・・・・・・!
その言葉どおりにディアッカは夢中で銃口を向けてミリアリアを撃った・・・。
───そうだ・・・ミリアリアはオレが撃った。
オレが・・・殺した・・・。
(2006.11.9) 空
※ここまではきっと皆さんも予測していたと思います。でも、もう1話あるんですよ。
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