真空の宇宙空間は物音ひとつしないはずだというのに、どうしてだろう。
オレを呼ぶ声が聞こえるような・・・そんな気がしてならないのは。
ガブリエル(2)
ミリアリアがいなくなってからのディアッカはどこか虚ろで生気に乏しかった。
そんな彼を見て多くの者が噂話に花を咲かせた。
カーペンタリア基地で監視していたナチュラルの捕虜に恋したのだとある者は言った。
またある者は入れ込んでいた女をクルーゼ隊長に寝取られ気落ちしているのだとも言った。
真相の程は定かではない。この2ヶ月の間にもZAFTの兵士は多くの者が冥界へと旅立って逝き、ディアッカとミリアリアの関係を知る者も少なくなり、憶測だけが飛び交っている。
一時の慰みで抱いたコーディネイターの女は皆ミリアリアよりも遥かに美しく、華やかだというのに、どういうわけなのか抱けば抱くほど女の残り香が鼻につく。
かつてあれほどディアッカを悦ばせた女の媚態も嬌声も今は嫌悪感しか抱かせない。
さすれば当然等閑になるのが心情というもの。
───どうしたの?ディアッカ。考え込むなんてあなたらしくもないんじゃない?
「そう?別に・・・気のせいだろ」
「そうかしらね。何だか心ここに在らずって感じだけど?」
「関係ないだろ」
「だってディアッカ、もう時間が無いんだもの。早くしないとあなたまた出撃でしょ?」
「あーそうだったね。じゃあさ?このまんまバイバイってのはどう?もう面倒くさいし時間も無いし」
「・・・え?」
「んじゃあ決まりね?オレもう行くわ・・・」
「ってちょっと待ってよっ!」
「だって時間無いんだもん。お相手は別に探してくれない?」
「・・・・・・」
「何?その不服そうな顔は」
「やっぱり・・・そうなの?」
「・・・は?」
「堕ちたもんだわね。あのディアッカ・エルスマンともあろう者が捕虜になっていたナチュラルの女にゾッコンだったって噂、案外本当だったのかしら?」
「噂ぁ?」
「そう、噂よ。何度でも言ってあげる。あんたがナチュラルの女に尽くして入れあげて!最後にはクルーゼ隊長に寝取られたって間抜けな噂話!」
「・・・・・・!」
そう言われた途端、ディアッカの顔色が急激に変わった。
「・・・オレさ?女に手ェ出すのは好きだけどさ?ブン殴るのは趣味じゃない訳よ。ただね?時にはそうじゃないコトもあるんだよね。ソコんところ解かってくれる?」
剣呑な吐き、ディアッカは傍らにいる女の肩をポンっと叩いた。
「あ・・・」
「んじゃねー!」
プシュッっとドアの閉まる音と共にディアッカはさして広くない通路に出る。
休息の時間は終わりだ。
地球連合軍がプラントに向かっているとの連絡が入ったという。では自分も間もなく出撃することになるだろう。
「ディアッカ!貴様まだノーマルスーツに着替えてないのかっ!」
後ろからの怒鳴り声に振り向けば、イザークが仁王立ちしてディアッカを睨みつけていた。
「あぁ?だってまだコンディショニング・レッドは発令されていないだろう?」
「発令されていようがいまいが出撃の準備はしておくものだろうがっ!」
「はいはい。おまえ今からこんなにアツくなってたら冷静な判断なんてできないぜ?落ち着けよ!」
ウインクをひとつイザークに投げかけてディアッカはクククと笑う。
「まあいい。とにかく着替えて来い!地球連合軍はボアズに向けて進行中なんだ。なんとかここで食い止めないとあとはヤキン・ドゥーエの防衛線しかないんだからなっ!」
こんな緊迫した時でさえ飄々としているディアッカにイザークは呆れ半分、腹立ち半分といった表情を向ける。
「ああもう解かったよ!さっさと着替えて参りますからおまえはアツーいお茶でも啜って待機していて?」
「・・・早くしろ!」
フイッとディアッカに背を向けてイザークは足早にその場を立ち去っていく。
CE71年9月。
地球連合軍は極秘裏のうちに核ミサイルの開発を完了、ピースメーカー隊の編成をもってプラント本国に侵攻を始めていた。
刻一刻と迫り来る最終決戦を前にディアッカの心情は妙にバランスを欠いていた。
女好きを自称して憚らなかった自分が女の顔を見るのも面倒だと思う。これはまたどうしたことか。
そしてあれ程自分を高揚させたナチュラル擁する地球連合軍との戦闘も、今ではどこか他人事のように感じてしまうこの虚脱感。
皆まで言わなくともいい。ディアッカには解かっている。
あの捕虜だった少女、ミリアリア・ハウと係わってからディアッカの中で何かが違ってしまった。
ミリアリア・ハウ。特に美人というわけじゃないナチュラルの少女はかの『AA』の乗務員で軍人。
でも・・・本当はコーディネイターの自分と同じように脈打つ心臓を持ち、体温を持ち、涙し、笑う。彼女も自分と何も変わらない人間なのだと気がついてしまったから。
かのコロニー・メンデルでの戦いでミリアリアは捕虜から解放され、再び『AA』の軍人となった。
それは、次にミリアリアと合間見えたら、『敵』として彼女を屠ることを意味する。
(あいつが敵・・・?)
つい2ヶ月近く前までディアッカの傍らで空を見上げていた少女。
捕虜という境遇に屈することもなく淡々と受け止めて、静かに笑ったミリアリア。
この戦争で多くの同胞を失った自分と同じように・・・彼女もまた多くの仲間を失ってきたのだろう。
『灯台下暗し』という諺がある。
ミリアリアがディアッカの傍にいた時には見えなかったものが、彼女がいなくなったことによって少しづつ見え始めている。
傍に居た時には気にも留めなかった些細な仕草が甦る。
(あいつはどうしているのだろうか・・・)
ミリアリアはディアッカにとってまさに『灯台の下』と云える存在だった。
**********
地球連合軍のボアズ侵攻は思いもよらない形で開始された。
通常の弾道攻撃では難攻不落とさえ言わしめたあのボアズが・・・まさかこんな短時間で破壊されてしまうなど一体誰が思っただろう。
エマージェンシーを伝える声がヤキン・ドゥーエ要塞のあちこちで鳴り響いている。
コンディショニング・レッドが発令され、ディアッカやイザークも隊を率いて自ら先陣に立つ。
バスターのコクピットの中でディアッカはふと、ポケットにしまいこんであった物に気付き手に取った。
(・・・・・・)
ディアッカが手にしたのは別れ際にミリアリアから託された、あの懐中時計であった。
どこかに捨てて欲しいと頼まれるままにノーマルスーツにねじ込んだのだが、結局ズルズルと今日まで持っていたものだ。
捨てるチャンスなどいくらでもあったのにディアッカには躊躇いがあった。
この懐中時計はミリアリアがディアッカの元で生きていた証だと言っていた。
自分がこの時計を遺棄してしまったら・・・とディアッカは思う。
これは糸だ。
ミリアリアと自分を繋ぐ細い糸だ。
この時計を持っている限り、何故か再びミリアリアに逢えるようなそんな気がする。と、ディアッカは思う。
暫くの間ディアッカは懐中時計を見つめていたが、鳴り響くアラームの前にまたポケットに元通りにしまい込んだ。
今度合間見えたらミリアリアは敵だ。
敵は撃たねばならない。でないと自分が殺られるのが戦いの本質であり、基本である。
だが、ミリアリアを前にしたとき、自分は彼女を撃てるのか?。
『私があなたの元から逃げたならば・・・そのときはあなたの手で私を殺してください・・・』
プレイランドの夕闇の中でミリアリアはそうディアッカに告げた。
(あいつを殺す・・・?)
彼方に広がる宇宙空間の闇空は再び多くの命を飲み込もうとしている。
その先に在るものは何か?
未来?希望?・・・それとも・・・。
ディアッカはひとり思案に暮れる・・・。
(2006.12.7) 空
※ ガブリエル(2)をお届けします。詳細はラストのあとがきに付します。
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