───コンコンコン・・・。

間もなく午前零時になろうとしているこんな時間にミリアリアの部屋の窓を叩く音が響いている。
(・・・誰だろう・・・)
怖いながらもそっとカーテンを開けると、窓の外に見慣れた顔が映っていた。
「お姉さん・・・!」
家人を気にしながらも窓を開けると、外の冷気と共に、慣れ親しんだ隣人の女性が微笑みながら立っていた。
「ミリィちゃんこんばんは・・・ちょっといいかな?」
「お姉さんどうしたんですか!こんな夜中に」
「うん・・・私ね、これからここを出て行くのだけれど、その前にミリィちゃんにひと目会っておきたかったの。」
「出て行く・・・って!何で!?」
「なんだかもう、いろんな事があり過ぎて疲れちゃったの」
「疲れちゃったって・・・どうして?それにお姉さんの恋人は!?・・・彼も一緒なんでしょう?」
「ううん。出て行くのは私だけ。彼はここに残るのよ」
「どうしてっ!あんなに仲が良かったじゃないですか!」
ミリアリアの厳しい追及に彼女はクスリと笑うと、まるで犬猫をあしらうかのようにサラリと答えた。
「・・・振っちゃった!」
言葉の重さとは対照的な彼女の微笑みは、何故かいつまでもミリアリアの心に刻まれていた。





蒼い眼の彼女(2)





───頭が痛い。

徹夜で仕事をした時の様なズンズンと鈍く響く、そんな痛みだ。
眼を見開いても視界は闇に閉ざされたままのこの状況が、ミリアリアにはまだよく判らない。
そもそも自分は今まで何をしていたのだろう。気が付けば手足を縛られ猿ぐつわと目隠しをされた状態が異常だ。
ミリアリアがもごもごと身じろぎをしていると、(多分)中年の男と思われる複数の話し声が聞こえて来た。
「お〜い!こっちの女が眼ェ覚ましちまったけどどーすんだぁ?」
こっちの女とは、どうやらミリアリアの事を指しているらしい。
「ああ、もういいからそのままにしておけ!ただし猿ぐつわと目隠しだけは外すんじゃないぞ!」
「チ・・・ッ!さすがはオーブだぜ!もうこっちの動きを牽制してやがる・・!」
クセのあるイントネーションのだみ声が反響している。どうやらここは地下室か、コンクリートで固められたむき出しの部屋のようだ。
「北大西洋連邦つったってもう昔の権限なんかねぇんだよっ!プラントに媚を売った奴ら首脳陣の最後は悲惨だったじゃないか。代わりに国際社会にのし上がってきたのがオーブだ。国家主席自らが陣頭に立ち、戦局を指示したんだから否が応でも発言力が強くなるってもんだ」
「だが、あの国はナチュラルを擁護する国家じゃねぇ!コーディネイターとの共存なんて間違ってもごめんだっ!」
「でもよぉ・・・大洋州連合、スカンジナビア王国、もともと中立国家だった国はもうコーディネイターを受け入れ始めているじゃねえか!今更俺たちがこんな事をしたって無駄じゃねえのかよっ!」
「だからこいつらに一肌脱いでもらうんじゃねえか!そっちのナチュラルの男どもはたいした奴らじゃねえが・・・この女、ミリアリア・ハウって〜のはあのAAの元クルーでフリーのカメラマンなんだとよ!つまりは地球にとっては勿論だが、プラントの現政権とも密接な繋がりを持っているのさ?しかも恋人はコーディネイターだっつ〜話だぜ?」
「なるほどねえ・・・。この女を押さえておけばオーブもプラントも迂闊に手出しが出来ないって訳か・・・!」

そんな会話を聞いているうちに、ミリアリアにも段々と事の成り行きを思い出していた。
(そうだ・・・私はテロリストに拉致されたんだ・・・!)
爆破された車の轟音と冷たい銃口を思い浮かべ、背筋が寒くなった。五人いた仲間のうちコーディネイターだった男は既に射殺され、もう一人の女性の行方は今だ知れない。彼女がテロリストらによって叢に引きずられ、悲鳴を上げた直後から・・・そう。そこからミリアリアの記憶がない。とりあえずは生かされているようだが、いつ奴らの気が変わるか判らない。実に危険な状態なのだとミリアリアは息を呑んだ。
ここは下手に抵抗などしない方がいい。ミリアリアは身体を起こし、壁にもたれかかるともうそのまま動く事を止めた。
自分たちがテロリストに拉致された事はもう知られているのだろうか。だとしたらカガリやラクスはどう動くのだろう。
共に国家の指導者的な立場にあるふたりの女性は自分たちを救出してくれるのだろうか。
そして、もうひとり・・・。彼にもこの事態は伝えられているものなのか。
ミリアリアは暗闇の中で、ひと際豪奢な金髪の男を思い描いていた。逢う度に不遜な態度を崩さない尊大な男。だが本当は世話好きで、陽気で豪胆な男。
ディアッカ・エルスマン。彼は今頃何をしているのだろう・・・。
ディアッカの金髪を思い描く。豪奢な金髪はミリアリアに別の事も思い出させていた。
数年前、真夜中にミリアリアの部屋を訪れ、別れを告げていった女性。
ヘリオポリスに住んでいた頃の隣人だった彼女は、七歳も年下だったという恋人と、その後どうなったのかは定かではない。
(何で今頃、あのお姉さん達の事なんか思い出したのかなあ・・・)
ミリアリアはひとり思った。
(・・・そうか・・・金髪か)
隣人だった女性の恋人もディアッカのような金髪だったうえに、背格好もとてもよく似ていたからだろう。当時の彼の年齢もディアッカのそれと一致する。ナチュラルとはいえ、とても綺麗な男の人だった。肌の色こそ白く、艶やかな声でもなかったが、凛とした口元と長い睫に縁取られた目元は涼やかで、見かける度にミリアリアも胸をときめかせたものだ。
隣人の女性が出て行った翌朝、息を切らせてインターホンを押し続けるそんな恋人の姿をミリアリアは見つけた。
「あのう・・・お隣のお姉さんは、もうここにはいないですよ。ご存知じゃなかったんですか?」
それを聞いて男の表情が俄かに変わった。
「それ・・・!いつの事なんだっ!」
ミリアリアに歩み寄り、彼女の腕を掴む男の乱暴な仕草に驚くも、更に言葉を続けて言った。
「昨日の夜・・・夜中です。ここを出て行くのでお別れの挨拶をしに来てくれたんです・・・」
「その時彼女・・・君に何か言ってなかったか?」
男の慌てた様子に躊躇しながらもミリアリアは、別れる間際に彼女が言った言葉を彼に告げた。
「いろんな事があり過ぎて疲れたって・・・。そして、あなたの事も振っちゃったって・・・そう言ってましたけれど」
「・・・そう」
男は両手で自分の顔を包み込むと大きく溜息を吐いた。
「ねえ・・・君今時間ある?よかったら彼女の話を聞かせてもらえないだろうか・・・」
(え・・・どうしよう・・・)
そんな男の申し出にミリアリアは戸惑いつつも、好奇心の方がそれにまさった。
近くの公園まで一緒に歩いて行く。背の高い男はミリアリアの歩調にも気を使ってくれているようだ。
公園に着くと男はスタンドからコーラとフライドポテトをふたり分注文する。半分をミリアリアに手渡すと、すぐ横にあるベンチに座るように促して、自らもミリアリアの隣に座った。
「君・・・ミリアリアちゃんっていうんだよね?彼女がよく話してくれたよ。隣に住んでいる女の子がすごく可愛いってね・・・」
「え・・・そんな事はないですよ・・・え・・・と・・・」
「俺はエドアルド・・・エドでいいよ」
人好きのする笑顔を見せて、エドアルドと名乗った男はコーラをひと口飲んだ。
「で・・彼女だけれど・・・どこに行くとも言ってなかったかい?」
「はい・・・ただもう疲れたからここを出て行くってそれだけで・・・」
ミリアリアにはそれが解せない。彼女は彼、エドの事をとても大切にしていたのに。
(・・・・・・)
エドはミリアリアからのぶしつけな質問には答えず、代わりに彼女にこんな質問をした。
「その前に君にも聞きたいんだけれど、七歳年上の女と付き合うって・・・やっぱり変だと思うかい?」
(・・・・・・)
「俺が彼女より七歳年下だっていうのは知っているでしょう?結構ご近所の噂になっていたみたいだしね。彼女は口にこそしなかったけれどずっとそれを気にしていたよ。だから人前では決して一緒に並んで歩こうとはしなかった。いつも俺より1メートル以上は離れて・・・しかも、後ろから黙ってついて来るばかりでね・・・」
その光景はミリアリアにも記憶があった。近所の主婦たちがコソコソと彼女の噂話をしている。その内容たるやまったく下品な事極まりない。、密かに嫌悪感すら覚えたほどだ。だが、ミリアリアも少なからずその話を肯定していた自分を振り返る。
彼女は決して美人ではなかった。背も低く、159センチのミリアリアより更に10センチは低かったはずだ。特に目立った容姿でもない・・・むしろ不美人といってしまってもいいくらいの女性だったのに・・・付き合っている男は彼女とはまったく正反対の美男子でしかも7歳も歳下だというのだから本当に不思議だった。なので。
「正直に言うと、私も変だと思った事があります。貴方・・・エドさんは誰が見ても綺麗でかっこいいのに・・・どうしてあんなお姉さんと付き合っているんだろうって。こうしてエドさんを見ていてもやっぱりかっこいいし、きっとモテるんだろうなって思います。だから・・・何もあんなお姉さんじゃなくて、もっと綺麗で若い女の人の方のがいいんじゃないかなって・・・あ、ごめんなさい。そんなの余計なお世話ですよね」
「君は正直だね。彼女もきっと、君のそういうところが好きだったんだろうね」
エドはまたクスクスとミリアリアを見て笑った。
「俺ねえ。この間二十歳になったんだよ。彼女と付き合い始めたのが二年前でさ・・・その間ずっと大人になりたくてさあ。ずい分背伸びもしたりしてた。早く彼女につり合う大人になってプロポーズするんだって・・・夢だったんだよ。でね?ようやく三日前に彼女にプロポーズしたんだけれどさ・・・即答で『ダメ!』のひと言が返ってきてね・・・」
(・・・・・・)ミリアリアは黙ってエドの話を聞いている。
「彼女は更に俺にこう言ったんだ。『あんたは恋に恋しているだけ。もっとよく現実を見なきゃダメ!あんたはまだ若いのよ。これからもっとたくさんの人に出会うのよ。結婚を決めるのはそれからでも遅くないから!ちゃんと自分の未来を見なさい!』ってさ」
それはそうだろう。ミリアリアだってそう思う。まだ二十歳だというエドには明るい未来があるのだ。七歳年上の彼女よりももっと素敵な女性が現れても不思議ではない。いや、むしろそう思った方のが自然だ。
「それを聞いちゃったらさ・・・俺、思わず彼女を殴っていたよ。ねえ?『ちゃんと自分の未来を見なさい!』ってどういう事さ!俺はちゃんと未来を見て言ったのに!彼女と幸せになることを思い描いていたのにさ・・・」
「俺の思い描いていた未来と彼女の見ていた未来は全然違うものだったんだよ。俺が思い描いていたのは・・・俺と彼女が一緒にいる幸せな未来だった。でもね、彼女は違っていた」
「彼女が見ていた未来は・・・俺だけが幸せになる未来で・・・そこに彼女自身はいなかったんだ!」
エドは怒りをあらわにミリアリアに詰め寄った。
「ねえ?未来って何なんだろうね・・・」
そう言われてミリアリアは反芻する。
(未来って・・何・・・?)


───好きなひとと結婚出来たからていってもね・・・それが幸せだとは限らないのよ・・・。


静かに微笑んだ彼女の言葉を思い出す。

「でも・・・!彼女は解かっていないんだ!自分自身が未来から眼を背けている事を!どうして俺と一緒の未来を見てくれないんだ!」
「こんなに・・・誰よりも大切なのに彼女俺を振ってしまっただなんて・・・そんなに簡単に言ってしまえるものなのかっ!そして俺を置き去りにしてひとりで行ってしまった!どうして解からないんだ!未来は見るだけのものじゃない!築き上げていくものなんだって・・・!」
エドは両手で顔を覆うとそれきり黙りこんでしまった。
「エドさん・・・これからどうするんですか・・・?」
沈黙に堪りかねてミリアリアは口を開いた。それに対するエドの返事は確か・・・。

「            」


───おい!飯だ!大事な人質さまだっつーんだから粗略には出来ねえってさ!
食べている間だけ猿ぐつわを外してやるからとっとと食っちまいなっ!

乱暴な言葉掛けと同時にミリアリアは口を解放された。だが、目隠しはされたままなので何がどこにあるのか全くをもって判らない。
「しょうがねえな〜!」
テロリストは仕方無しに目隠しをも外してやる。
「ほら!後ろの壁の方を向いて食えっ」
言われるままにミリアリは壁に向かい食事を始めた。食欲などまるで無かったのだが、それでも黙々と食事をしていると、後ろから卑猥な会話が流れ始め、ミリアリアは思わず身を硬くする。
「なあ・・・せっかくの人質なんだ!しかも若い女なんだぜ?ちょっとくらい愉しい思いをするのもいいんじゃねぇか〜?」
「それもいいなあ・・・どうだ?順番でヤるかい?それともみんなでオタノシミの方がいいかぁ〜?」
それを聞いたミリアリアは思わず叫んでしまっていた。

「やめて・・・!私のお腹には4ヶ月になる赤ちゃんがいるのよっ」

「・・・ああ〜?赤ん坊だあ〜?嘘つくんじゃねぇよ!」
「嘘じゃないわ・・・私のジャケットのポケットに『母子手帳』があるから見れば解かるわよ・・・」
ミリアリアに言われるままにジャケットを探ると確かに母子手帳とやらが見つかった。
「本当だ・・・。確かにこの女妊娠してやがる・・・!・・・あれ?」
母子手帳をパラパラとめくっていた男の目がある一点で止まっていた。
「おまえの腹の赤ん坊、『父親』の欄が無記名だぜ・・・?どうしたんだ?」
(・・・・・・)
ミリアリアは一瞬躊躇したが、面には出さずに淡々と答えた。
「婚約者がいたんだけれど・・・彼、事故で死んだのよ。だから無記名なの」

───この子の父親はもう・・・この世にいないのよ・・・。

それきりミリアリアはもう、口を開こうとはしなかった。





        (2006.4.21) 空

   ※   ようやく2話目をお届けします。マ広さん・・・ごめんなさい!告知していたとおり、どんどん重くなってきました。でも、まだまだ・・・!
        このお話はメガトン級に重いので、覚悟して読んでくださいませ・・・(逃)
        一応次で完結の予定ですが・・・管理人は気まぐれなのでそれもちょっと怪しいです。

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