明日、この家で僕ら友人でディアッカの婚約記念パーティを開きます。
で・・・今日、彼だけ先にここに来て泊まりますから、ミリアリアにはおもてなしと客室の清掃をお願いしますね。
そんな嬉しそうなニコルの声を聞くのが今はとても辛い。でも。
「かしこまりました・・・」
ミリアリアは微笑んでニコルに小さくそう返事をした。
夕凪(3)
ディアッカの泊まる部屋はいつもと同じ海に面した2階の客室である。
6時にはディアッカが到着すると聞いてミリアリアは慌ててベッドメイクを始めた。
あの日と同じで今日も海は静かに凪いでいる。
ディアッカがミリアリアの元に通うようになってから、まだ僅かひと月足らず。
なのに彼はもう婚約が調い、明日は友人を挙げての記念パーティだという。
つまり、そういうことだったのだ。最初からこの日が来ることを知っていてディアッカはミリアリアに手を出したというわけだ。
時計を見れば、時刻は間もなく5時になろうとしている。
海からの風を受けてミリアリアの髪はふわりと靡く。
ずい分昔の話だが、ミリアリアはここアマルフィ邸に両親とバカンスに訪れたことがあった。
大人の思惑などどうでもよろしくミリアリアはニコルや、彼の友達だという銀髪の少年らと一緒にあの海岸で陽が沈むまで遊んだものだ。
子供たちの間には身分などという煩わしさは存在しない。
だが、ずっと続くものだと思っていた幸せはある日突然両親の死をもって奪われてしまった。
自分の住んでいた家屋敷は既に借金のかたに他人のものとなっている。
もう戻るところも無い孤児となってしまった自分。
もうすぐ彼がやって来る。自分は毎日どんな思いで彼の訪れを待ってただろう。
あんな結びつきでも幸せだった。
いつかは終わる恋だと解っていたのだ。上流階級の御曹司であるディアッカと、既に親も亡くこれといって取り得のない自分。
結ばれるなんて夢物語でしかない。
だから・・・1日でも長くその夢に浸っていたかったのに突きつけられた現実はもっと悲しい。
ディアッカにとってはミリアリアとの逢瀬は夢物語ですらないただの情事に過ぎなかったのだと、そんな酷い仕打ちを受けたというのに、ミリアリアは泣くことも出来ないのだ。
自分はアマルフィ家の使用人である。
主人の顔を潰すわけにはいかない。
(大丈夫・・・)
ともすればくじけそうになる自分を叱咤してミリアリアは窓を閉めた。
───と、背後でカタン・・・と物音が聞こえた。
「そのまま開けておいていいよ・・・」
その声に弾かれるままミリアリアの意識はハッとして振り向く。
そこにあったのは10日ぶりに姿を現した男、最後に会った時のままに豪奢なディアッカ・エルスマンの姿・・・。
「・・・ずい分早いお着きですね。6時頃のお伺いと聞いておりましたのに」
「ああ・・・その前におまえに会いたいと思ってね」
「そうですか。でもエルスマンさま、私は忙しいのです。ちょうどお掃除も終わりましたから、これにて失礼させていただきます」
努めて平静さを装うミリアリアにディアッカは残酷な追い討ちをかける。
「おまえ、オレに言いたいことがあるんじゃないの?」
口の端を持ち上げクククと笑うその仕草がミリアリアに軽薄な印象を与える。
「何もございませんわ。エルスマンさまは当アマルフィ家のお客さまでいらっしゃいます。私はここの使用人ですから、その分際でエルスマンさまに言いたい事などございません」
「本当に・・・?」
「はい。何もございませんわ」
「こんなことをしても・・・?」
ディアッカはその言葉の終わらぬうちにミリアリアを抱き寄せキスを交わす。
そのディアッカに抱かれた身体を強引に外してミリアリアは言った。
「使用人と冗談でも遊ぶのはよくないですわね。もうご婚約なさったのでしょう?お相手のかたが知ったら悲しみますよ」
(・・・・・・)
少しの沈黙の後・・・やがてポツリとディアッカが言った
「おまえは悲しまないの・・・?」
(・・・・・・)
とても寂しそうなディアッカの声にミリアリアは黙って俯くばかりだ。
「おまえは・・・オレを愛してくれていたんじゃないの・・・?」
(・・・・・・・)
「なあ!あれはオレの独りよがりだったっていうのか?ミリアリア・・・!」
その問いかけに俯いたままでミリアリアは答える。
「何も言わないで別れるほうがお互い幸せなことだってあります」
瞳に浮かぶ涙をディアッカに気付かれぬようにしてミリアリアは部屋を出た。
後に残されたディアッカはただ黙って夕凪を見つめる・・・。
**********
賑やかなパーティが始まった。
ミリアリアは他の使用人と一緒に会場に控えている。
すっかり陽も落ちて夜を迎えた邸宅は一層華やかで華麗な雰囲気をかもし出している。
そんなに大勢ではないが、それでもアマルフィ家を挙げての盛大な祝い事である。
日頃はこういった付き合いを好まないディアッカも今日はいつになく楽しそうだ。
「ミリアリア・・・!」
ニコルが彼女を呼んだ。
慌ててお辞儀を済ませて御用向きを伺うとニコルは楽しそうに周囲でくつろぐ少年達に飲み物を促した。
「彼女がミリアリアですよ・・・ね?イザークもアスランも彼女の事を憶えてませんか?」
イザークと呼ばれた少年が怪訝な顔をするも、アスランと呼ばれた少年のほうはミリアリアを見て何か思い当たったようだ。
「まだ・・・子供の頃ここの海で一緒に遊んだことがあったよね?ほら、俺とイザークとニコルとディアッカと彼女の5人でさ・・・そうだろう?ニコル
ニコルは嬉しそうに微笑んでミリアリアの手を取って紹介する。
「そうですよアスラン。その女の子が彼女です。つまりはそういうことですよ」
「・・・なるほど」
イザークと呼ばれた少年は呆れ顔に近い笑いを漏らした。側にいるアスランも実に意外そうな顔をしている。
「・・・ミリアリア・ハウと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
不思議な面持ちでミリアリアは周囲の少年達の顔を見回した。
なんだか少年達の顔が笑いを堪えているように見えるのはミリアリアの気のせいだろうか・・・?
───不意に場内が暗くなった。
───さて、ここで本日の主役でありますディアッカ・エルスマン氏より皆さまにご報告がございます。
正式な発表は明日、エルスマン家にてございますが、今日はディアッカ氏のご希望でひと足先に親しい皆さまにご紹介です!
上流階級の御曹司らしく、華やかな姿でスポットライトを浴びるディアッカは自身がまるで美しい花のようだ。
コホンとひとつ咳払いをしてディアッカは司会の言葉に笑って答える。
「本日は私、ディアッカ・エルスマンの婚約記念パーティにようこそお越しくださいました!早速ですが、ここで婚約者の『ミリアリア・ハウ嬢』を紹介させて頂きます・・・!」
周囲から盛大な拍手を受けてディアッカはスポットライトをミリアリアに向けるように合図を送る。
「・・・え?」
ディアッカは今何と言った?
呆然と立ち尽くすミリアリアの前に豪奢な美貌の男が歩み寄る。その手を取って中央の広いスペースまでエスコートすると周囲から歓声が響き渡った・・・。
スポットライトを受けてミリアリアは初めて自分の置かれている場所を理解した。
「お集まりの皆さま。本日めでたく婚約が調いましたミリアリア・ハウ嬢を紹介します。訳あってメイドの格好をしておりますが、これは彼女に危険が伴わないよう、周囲がさせていた格好に過ぎません。詳細は明日のメディアのトップを飾るであろうニュースを見て頂ければ解ります・・・」
「え・・・ちょっと待ってディアッカ!これは一体どういうことなの・・・?」
ことの次第がまだよく掴めていないミリアリアにディアッカは笑う。
「なあ・・・?オレがおまえ以外の誰と婚約するって思っていたんだ?」
「で・・・でも・・・」
「そうだ・・・まだ指輪渡してなかったよな?ほら、早く左手出して!」
「指輪ってそんないきなり・・・!」
「ゴチャゴチャ言ってないで手ぇ出せよ!みんな見てるだろ!なあ、ミリアリア!」
強引なディアッカに言われるままにミリアリアが左手を出すと、待ってました!と云わんばかりにディアッカはそのか細い指に指輪をはめた。
それはとてつもなく大きなアメジスト。・まるでディアッカの瞳を写しとったような紫の色した宝石。
後に続くのは割れんばかりの拍手と喝采───。
**********
もう10年以上前だけれどね・・・。
パーティがお開きになった後、いつもの客室に戻って来たディアッカは傍らにいるミリアリアに静かに語りだした。
「あの海岸でオレはニコルやイザーク、そしてアスランと4人でよく遊んだものさ・・・」
窓を開けて懐かしそうにディアッカは、闇に包まれた海岸を見つめる。
「いつの年だったか・・・そこへ可愛い女の子が来たんだよ・・。茶色いクセっ毛の、海のように綺麗な蒼い瞳をした優しい・・・ね。情けないことに、ひと夏を一緒に過ごしたのにさ?オレはどうしてもその子に話しかけられなかったんだ・・・。アスランやニコルやイザークが楽しそうにその子と話してるのを見て無性にムカついてさあ・・・そりゃあもうその子をいじめたんだよな〜!今思うとガキだったってつくづく思うね!」
遠い思い出に向かうディアッカは幸せそうな笑みを漏らす。
「結婚するならあんな女の子がいいなってずっと思って過ごしたんだけれどね?でもなかなかいないわけよ」
「おまえを抱いて・・・少ししてからようやくあの時の彼女=おまえだと解ったのさ。やっと見せてくれた笑顔で気がついただなんて・・・マヌケだよオレも!」
「だからってディアッカ・・・どうしてこんな・・・」
「おまえにさ、本気で惚れたから・・・婚約の承諾を貰うのに必死だったんだよ。いい加減な扱いはしたくなかったんでね。で、あれこれおまえのことを調べ上げていくうちに大変な事実が浮かんで来てね・・・今度は警察を交えての大捜査になっちまったんだ・・・」
「・・・警察・・・?なんで私が?」
「明日には全て分かってしまうから隠しても仕方ないんだけれど、おまえのご両親はね、表向きは事故死だけれど、今となっては他殺との見解が強い」
「・・・・・・」
「理由はね、ある財団がエルスマン財団とアマルフィ財団の乗っ取り計画を企てたからなんだけれど、それが極悪非道を地でいくような計画でね・・・当時アマルフィ財団で顧問弁護士をしていたハウ氏・・・つまりおまえのお父上がそれを探り当てたんだ。で、エルスマンとアマルフィは必死になってそれを阻止したまではよかったんだが、今度は怨みをかってね・・・おまえのご両親はアマルフィ夫妻と間違えられて殺されたっていうのが今の警察内での見解なんだよ・・・」
「それでね・・・ようやく犯人逮捕にまでこぎつけたんだけれど、死んだ人間は・・・おまえのご両親は戻って来ない」
「アマルフィ氏はおまえの将来をそれは心配されていてね。まあ、無理もないんだけれど、自分の養女として一生後ろ盾になる用意をしていたところへ・・・」
「・・・ところへ・・・?」
「オレがちょっかい出しちまったって訳」
ディアッカは気恥ずかしそうな表情でミリアリアを見つめた。
「そりゃあね〜!無理も無いのよ?こんな遊び人に大事な恩人の娘を嫁がせるなんて言語道断でしょう?」
「だからもう必死に毎日『ミリアリア嬢をください!』ってニコルやアマルフィ氏に嘆願してようやく聞き届けられたのが昨日の話。でもさ?おまえにそんなこと言ってもさあ・・・はたして信じてくれる・・・?」
「・・・それは・・・」
「でしょ?だからねぇ・・・先に既成事実を作っちまおうと思ってね!回りの人間巻き込んで先に婚約発表することにしたの。ここまでやっちゃおまえもオレから逃げられないでしょう?愛し合ってるんだから返事は後でもらえばいいや・・・っという訳で先に婚約発表しちまったの!」
「それにおまえのご両親の件はウチの親にも責任があるから・・・実はすぐに婚約の承諾を得られたっていうか!絶対婚約しろっって脅された。遊び人の息子をここまで本気にさせる女なんてもう現れない!って大喜びさ。しかもこれでアマルフィ家とますます深い付き合いが出来るし・・・おまえのご両親へのはなむけになるしってね」
「呆れた・・・」
ミリアリアは溜息をついた・・・。
「でも・・・私が断ることまでは考えなかったの?」
「ああ!決まってるじゃん!」
どこから出てくるこの自信・・・。
プロポーズをすっとばして婚約発表だなんて・・・強引にもほどがある。
「でもさ・・・いいじゃん別に!これでみんなまるく収まるんだからさあ・・・」
───そしてさ・・・ガキの頃・・・とうとう言えなかった言葉をここで云わせて。
あの夕凪を見つめて遊んだ頃に戻ってさ。
『 オレはミリアリアが大好きだから・・・お願いです!オレと結婚してください!』
『イ・ヤ・・・!』
そしてふたりは顔を見合わせて笑ったのだ・・・・・・。
(2005.12.5) 空
※ 大変長らくお待たせいたしました。ようやく上がりましたぁ!
シリアスだと思われたでしょうが、『ムチャクチャなディアッカ』のお話になってしまいました。
本編でもこれくらいムチャをして欲しかったと思うのはきっと私だけではないでしょう!
リクエストありがとうございました!
キリリクへ