抜け出せない悪夢というものがある。
例えば独りよがりの寂しい恋。
相手の想いがどこにあるのか解っているのに離れることができない呪縛。
私だけを見て欲しい。私だけを愛して欲しい。
普通の恋人同士ならあたりまえの願いでも、私には過分な夢に違いない。
彼の紫の瞳はいつも私を通り越して他の誰かの面影を追う。
私と楽しそうに会話をしていても、彼の瞳に私の姿は映らない。
そう、彼は私のことなどこれっぽちも愛していない。
そして、そのことを解っていながら、私は今日も彼に愛されているふりを続けている。
スノー・ホワイト
私の横で眠る彼は無防備を装いながら、それでも決して隙を見せることをしない。
コーディネイターでも稀な程豪奢な容貌を持ちながら、どこか飄々とした態度が彼を異端に見せるけれど、
そんなことは彼にとってどうでもいいことのようだ。
カーテンの隙間から光が覗き始める。彼との逢瀬が終わる時間。
聞こえる筈の無いデジタル時計の秒針の音が・・・やがて私の心音と重なってゆく。
───午前5時。
目覚ましの代わりに鳴り響く電話の着信音。
毎朝きっかり午前5時に鳴るそれはモーニング・コール。
まだ、私が何も気付いていなかった頃、着信音をたよりに受話器を取ろうとして激しく彼に突き飛ばされたことを思い出す。
私から奪い取った受話器に向かって幸せそうな笑顔を見せた彼。この日私は初めて彼に別の女性がいることを知った。
もう随分前の話。いつも窓から遠くを眺めている彼の姿に興味をもって私から彼をベッドに誘った。
彼は私の赤い髪に口づけをして躯を重ね、口の端を持ち上げて愉快そうに笑った。
「何がそんなに面白いのか」と訪ねると、彼は「人間の身体って正直だよな」と更に声を高くして笑うのだった。
・・・そして今日もモーニング・コールが鳴り響く。
私は一瞬息を詰め、身動きひとつせずに、ただその時間が過ぎていくのを待っている。
やがて眠っていた筈の彼が素早く受話器を取る。
私との会話では決して見せない柔らかな微笑みと、ほんの少しだけ交わす会話に彼の想いの深さが伝わってくる。
───ローザ、時間だからもう起きろよ。
受話器を置いて初めに彼が告げる私への言葉。
無言でのろのろと身支度をする私に、もう彼は見向きもしない。
「ねぇ、ディアッカ。今度はいつ私と会えるの?」
不安が募って、つい次の約束をしようとしても彼は口の端を上げたままで笑う。
「好きなときに来れば?」
彼は・・・ディアッカはもう私が彼から離れられないことをちゃんと解っていてこんなことを言うのだろう。
「愛しているよ」とは絶対に口にしない彼に背を向けて私は静かに玄関のドアを閉めた。
───3月14日。
この日はプラントでも雪が降る。
「血のバレンタイン・デー」での犠牲者に捧げる白い花束。
いつの頃からか習慣化したセレモニー。
どんよりとした人工の雲から降る雪が私の頬に当たって融けた。
**********
窓から外を眺めればプラントを覆う一面の雪。
まだ薄暗いこの時間、先程まで隣で寝ていた女が俯いたまま道を辿ってゆく。
オレにとってはただの遊び相手にすぎない女だが、さすがにあんな後姿を見てしまえば憐れに思う。
だったらいっそ女をオレの本当の恋人にしようか?
なんて・・・バカバカしい冗談をオレは口が裂けても絶対に言うつもりはないが。
女を後背に、オレはカーテンをもう一度閉めて受話器を探る。
スイッチを入れると受話器の向こうから懐かしい声が響く。
『ディアッカ、早く起きないと遅刻するわよ!・・んもうっ!ちゃんと出勤してくれないと私がイザークさんに怒られちゃうでしょう!
ほらっそんな格好してないで早く着替えないと風邪をひくわよ・・・ねぇ聞いてるのディアッカってば・・・!』
「・・・聞いてるよミリアリア・・・」
もう一度スイッチを入れるとまた同じ言葉が受話器の向こうから還ってくる。
何度も何度も同じ言葉だけを繰り返す受話器。
数年前、まだミリアリアがオレの恋人だった頃に、ほんのいたずらで録音した彼女の声だ。
『ディアッカ、早く起きないと遅刻するわよ!・・んもうっ!ちゃんと出勤してくれないと私がイザークさんに怒られちゃうでしょう!
ほらっそんな格好してないで早く着替えないと風邪をひくわよ・・・ねぇ聞いてるのディアッカってば・・・!』
そう、ミリアリアはいつもそうやってオレのことを起こしに来ていた。
そしてオレはそんな彼女の腕を捕らえては暫しの時間をふたりで過ごした。
ばつの悪い朝とイザークの怒鳴り声にミリアリアはオレの立場を憚って、
いつしか朝は起こしに来る代わりにモーニングコールを入れるようになった。
時刻はきっかり午前5時。
『ディアッカ、早く起きないと遅刻するわよ!・・んもうっ!ちゃんと出勤してくれないと私がイザークさんに怒られちゃうでしょう!
ほらっそんな格好してないで早く着替えないと風邪をひくわよ・・・ねぇ聞いてるのディアッカってば・・・!』
───別れてから後も・・・オレの朝はミリアリアの声で始まるのだ。
たとえ同じ言葉しか繰り返すことをしないディスクでも、もう今のオレにはそれだけしか残されていないのだから。
**********
───午前5時。
地球のとある場所で私は声を潜めて受話器を握り締めていた。
震える指でメモリーボタンの番号を押す。
「ツー・ツー・ツー・ツー」
聞こえるのは話中を知らせる無情な音。
受話器を置いて小さな溜息をひとつ吐く。
そう、解っている。
別れてからもう何年も経つ。あれだけ綺麗な彼が今もひとり身でいる理由なんてどこにもない。
きっと母国で素敵な恋人をみつけたのだろう。
そして・・・今はその恋人が彼にモーニング・コールを入れているのだろう。
離れて初めて気がついた想い。
どうして私は彼の・・・ディアッカの手を離してしまったのか、後悔する日々が長く続いた。
ある日、どうしてもディアッカの声が聞きたくて私は早朝、彼の許に電話を掛けた。
でも、聞こえてきたのは「ツー・ツー・ツー・ツー」という話中の発信音。
『振っちゃった』
周囲にはそう説明してきた。それは勿論事実であって彼はもう私の恋人じゃない。
何年か前、まだ私達が恋人同士だった頃、彼はよくだだをこねて私のことを困らせた。
「寝坊しがちなんでさぁ、おまえ家までオレのことを起こしに来てくれない?」
なんてことをしれっとした顔で言う彼を、私は何だかんだ言っても結局よく起こしに行った。
『ディアッカ、早く起きないと遅刻するわよ!・・んもうっ!ちゃんと出勤してくれないと私がイザークさんに怒られちゃうでしょう!
ほらっそんな格好してないで早く着替えないと風邪をひくわよ・・・ねぇ聞いてるのディアッカってば・・・』」
その都度彼は起きるものの、すぐに私をベッドに引き込み結局遅刻する破目になったものだ。
そして思いついたのが「モーニング・コール」をいれること。
『ディアッカ、早く起きないと遅刻するわよ!・・んもうっ!ちゃんと出勤してくれないと私がイザークさんに怒られちゃうでしょう!
ほらっそんな格好してないで早く着替えないと風邪をひくわよ・・・ねぇ聞いてるのディアッカってば・・・!』
毎朝きっかり午前5時のモーニング・コール。
一度は振った男に未練がましく今も私はモーニング・コールを送り続けている。
胸の鼓動が一段と強くなるのを抑え、彼の寝ぼけた声を待つ。
返ってくるのが話中を知らせる音だと解っているのに・・・。
**********
いつのまにか降り積もった雪は何もかも覆い隠してただ白く冷たい。
ローザも、ディアッカも、そしてミリアリアも互いの胸のうちを知らずに冷たい時間の中を彷徨う。
ひとつ間違えた掛け金は・・・全てを閉じ込めてそ知らぬ顔を貫き通す。
ちょうど外を埋め尽くす雪のように真実を隠して夢をみせる。
───「もしかしたら・・・」
抜け出せない悪夢。
そんな夢こそが・・・多分残酷───。
(2008.3・13) 空
※ かつて、プリンセス・プリンセスという女の子だけで構成されていた有名なバンドがありました。
この話は3rdアルバムに収められている隠れた名曲「ロマンシン・ブルー」を元にして書いたものです。
お持ちの方がいらっしゃったら、聴きながら読んでもらえるとまた違った感想を持つのではないかと思います。
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