「・・・エルスマン氏は行きましたよお嬢さん。でも・・・本当にこれでよかったのですか・・・?」
「はい。支配人さんにはご迷惑をおかけしました」
「今ならまだ間に合いますよ?」
「もう、決めたことです。それよりも時間を作ってくださって本当にありがとうございました」
ディアッカがホテルを抜け出した後───。
支配人室の隣の部屋のドアが開いた。
部屋から出て来たのは・・・なんとオノゴロの軍港に向かったはずのミリアリアであった。
distance(2)
ミリアリアは支配人に一礼して外に出た。
時刻は間もなく午前1時になろうとしている。オノゴロ発の最終船便が出港する。
車の運転の上手いディアッカのことだから、ギリギリで港に着いただろう。そこでミリアリアを探し、見つからないままホテルに戻るまでには更に1時間近くかかるはずだ。
ミリアリアは空を見上げた。
街の灯りに溶け込むような星空は、どこかぼんやりとしていて、もう逢うことのない男との距離を思わせた。
彼がどんなに「バレンタイン・デー」の逢瀬を楽しみにしていたかはミリアリアにだってちゃんと解っていた。
世間一般の恋人同士なら楽しく過ごせるはずの日も、ディアッカにとっては他に特別な意味のある記念日である。
(もう、あの頃の私たちではないのよね・・・)
戦後、数年の間にディアッカの立場は大きく変わった。
ラクス・クライン下での新体制のもとで、ディアッカの豊富な見聞と経験は貴重なものとなった。
彼自身はきっと望んではいなかったのであろうが、責任のあるポストに就き、父親の後継者としてプラントの政治の中枢に与する身の上となってしまっていた。
今ではもう迂闊な行動は取れないZAFTの・・・いやプラントのVIPとしてのディアッカの立場。それは重い。
ディアッカに逢う度に、彼の周囲の目がミリアリアにも注がれる。
その都度「AAに搭乗していた頃の話」や「ナチュラルの女性との恋愛話」が新聞や雑誌のゴシップ欄を賑わせた。
(私といたら・・・ディアッカの将来を潰してしまう)
ディアッカに逢う度に募っていく不安はミリアリアを追い詰め、そして心を苦しめる。なのに当のディアッカは相変わらず昔のままでミリアリアしか眼に入っていないかの様に振舞う。
「バレンタイン・デー」に逢おうだなんて、まるで自分の立場を解っていない。
プラントにとって第一級の記念セレモニーであろう「血のバレンタイン」の記念日に公人としての勤めよりも私人として強引にミリアリアと逢うのだと周囲が知ったら・・・。
そう思ったとき、もうミリアリアはディアッカとの別れを決めていた。
自分の存在はディアッカの立場を危うくさせるばかりではない。きっと幸せにもしてやれない。
夢と希望に満ち溢れていたあの頃とはもう、何もかもが違ってしまった。
ディアッカが去ったオノゴロの軍港とは反対に向かってミリアリアは歩き出す。
間もなく一台のタクシーがミリアリアの前で止まった。
「ハウさんですね?」
ミリアリアがコクリと頷くと、人の良さそうな中年の女性運転手がミリアリアを車に乗せ、発進した。
実はここのホテルからほど近い場所に、ミリアリアは自分の泊まる部屋を予約しておいたのだ。
そして、この午前零時をもって自分の携帯とPCプロバイダとの契約も解消していた。
どんなにディアッカがミリアリアと連絡を取ろうとしても、メルアドも電話番号も過去のものになっている。
多忙なディアッカは明日にの朝にはオノゴロを発たなければいけないのだと話していたから、今日一晩だけディアッカの追求を逃れられればもう連絡の手段はない。
(コーディネイターとナチュラルの恋愛だなんて・・・周囲が認めてくれるはずもなかったのよ)
自分も二十歳を過ぎ、大人になった。夢だけで生きられるような世の中ではないのだと経験がそれを教えてくれる。
カメラ一式の機材はホテルの支配人に着払いでの郵送をお願いしてあるので、明日は自分の身ひとつでオノゴロを出発すればいい。
用心のため、簡単な変装用具まで用意しておいたミリアリアである。
なにしろ相手は「あの」ディアッカ・エルスマンなのだから、念には念をいれておくのが良策だ。
ミリアリアはタクシーを目的のホテルへと急がせる。あまり人目につかないほうがいいに決まっていた。
次の角を右に曲がれば目的地まではあと僅かである。ホテルの灯りが近い。
角を右に折れ、ホテルの玄関でタクシーを止め、そっと降りた。
フロントに向かって歩調を速める。どうにかここまでは自分の計画通りであることにホッと息を吐いた。
しかし、フロントまであと僅かのところでミリアリアは何者かに腕を強く捕まれた。
(・・・・・・!)
ミリアリアはそこで信じられない光景に逢った。
「ディアッカ・・・」
「よう!遅かったんじゃないの?おまえ」
クククと口角を心もち上げる仕草のままで彼は言った。
**********
───支配人から車を借りてあわてて発進したディアッカだったが、間もなくおかしな事に気が付いた。
(・・・おっさん・・・この車『エンプティランプ』点灯しまくりじゃんかよっ!)
そう。ディアッカが借り受けた車には何故か殆ど燃料が入っていなかったのである。
(これじゃ・・・あいつを追えない!)
ディアッカはすぐにスタンドの有無を確認したが、オレンジ色の街灯が整然と立ち並ぶだけで他には何も見当たらない。
途方に暮れた。だがそこでディアッカはある考えを頭に浮かべだ。
(・・・待てよ)
ホテルが使用する車はこれ一台ではないはずだ。支配人ともなればどの車がどういう状況かは報告を受けているだろう。
であるのに、あの支配人はこの車のキーをディアッカに手渡したのだ。そこに何か人為的な作為はないだろうか。
ミリアリアがいなくなったのはディアッカが席を離れた僅か十分足らずの時間。
そして『燃料の無い車』・・・。
ミリアリアは『タクシー』を呼んでいたのだと支配人は言った。だが十分足らずでタクシーは本当にホテルに到着出来るのか?
ディアッカが戻る直前に首尾よくタクシーに乗り込んだとしても、そこにはまた新たな疑問が生まれる。
そもそも、あの管理人は急がねばならないディアッカを引き止めて何故あのような話をしたのだろう。
オノゴロの港から最終便が出港するまでには僅か一時間しかなかったのにもかかわらずにだ。
本来なら支配人は話などせず、一刻も早くディアッカを港に行かせるべきだ。
なのに・・・支配人はそうしなかった。
つまりは『港に着くギリギリの時間のタイミング』を見計らってディアッカを送り出したとしか思えない。
(なるほどねえ・・・)
ギリギリの時間で港にディアッカが着くようにする。そこに意味があると思うのが正しい。
これで車の燃料がきちんと入っていたならばディアッカは何も疑わずに猛スピードで港に向かったはずだ。
だが、この車には燃料が無い。当然どこかで車は止まってしまう。
そこまで考えついたとき、ディアッカはクスクスと笑いだした。
(ミリアリアはまだこの近くにいるんだ・・・!)
支配人を抱き込んで時間稼ぎをした隙に、ミリアリアはホテルを出たのだろう。
だとしたら、彼女はまだ遠くへは行っていない。オノゴロ港へ向かったディアッカとは逆の方向に向かっている。
ふと見るとサンバイザーの上に何やら折りたたまれた紙がある。
(もしかして・・・地図か?)
手を伸ばして紙を掴み、広げてみるとやはりそれは地図であった。
(ラッキー!これ、オノゴロの地図じゃん!)
現在地に印を付けて、宿泊予定だったホテルの所在地までを線で結ぶ。
そして、そのホテルをやり過ごし、更に線を引き伸ばすと・・・。
(ここだな・・・)
ディアッカがたどり着いたのは、一軒の小さなホテルだった。
キロ数にしてここから5キロ程離れているが、ディアッカの運転なら5分とかからない。
(そんじゃ〜先回りといきましょうか!)
ホイールロックの音も激しく、ディアッカの運転する車は闇に消えた。
**********
───どうして・・・。
ミリアリアは驚きを隠せない。
自分の計画に抜かりは無かったとの自負があった。
事実ディアッカは慌てふためいてホテルの駐車場から飛び出して行ったのである。
「ん〜とさ?あの支配人のおっさん、まるっきりおまえの味方だったって訳じゃなさそうだよ」
クスクスと笑いを含んだ声でディアッカはミリアリアに告げる。
「でも・・・私は隣の部屋でずっとあんた達の会話を聞いていたのよ・・・。支配人さんはあんたに何も言ってなかったわ」
「うん。おっさんは何も言わなかったんだけれどさ?この車にオレを乗せることでおまえの所在を知らせたかったんだろうね」
「・・・車?」
「そう。車。わざわざガス欠の車を選んでオレに貸したって〜のがスゴイよな!それってオレを足止めするのが目的だったっ〜訳ね」
「足止め・・・」
「ガス欠じゃ遠くまで行けないよな。つまり、おまえはまだ近くにいるから車なんて必要ないってね?おっさんはそう言いたかったんだって思ったのさ」
「・・・でも、よくここが解ったわね」
ミリアリアは俯いたままディアッカの顔を見ないように努めて言った。
「そりゃ〜ね。覚悟を決めて行動するおまえならきっと下手に動くことはしないだろう?今夜一晩オレの追及から逃れるにはそれが一番いい方法だと思うだろうしね」
いつもの様に余裕綽々とした顔でディアッカはニヤリと笑う。
「でも、もうあんたとはこれっきりにしたいのよっ!手紙読んだんでしょっ!だったらもう帰ってくれないっ!」
「・・・・・・」
ディアッカを振り切ってロビーへと向かうミリアリアの肩を、もの凄い力で彼が止めた。
「ふざけんなよな・・・あんな紙切れでオレとの仲を清算しようだなんて・・・ずい分バカにされたもんだよ!このディアッカさんも!」
「放してよっ!」
「ああ・・・放してやるよっ!・・・ただしオレとの逢瀬が済んでからなっ!」
(・・・・・・!)
ディアッカの持つ、独特の色気と狂気が混在した気にあてられて、ミリアリアは動けなくなってしまっていた。
**********
───同時刻。
ディアッカが出て行った後、ホテルの支配人は机の引き出しから一枚の写真を取り、それをそっと立てかけた。
「エアリス・・・」
写真に写っていたのは、金髪で、美しい若い女性の姿だった。
「なあ。彼は私の意図を理解してくれただろうかね・・・」
写真の中の女性はただ微笑むだけである。
「私も彼のような情熱があったなら・・・みすみすおまえを死なせずに済んだのだろうか・・・」
もうそれは二十年以上も昔の物語。
コーディネイターの支配人が二世を誓った恋人はエアリスという、ナチュラルの女性。
支配人がディアッカに話したことは真実であった。
彼女と一緒に逝ってしまったお腹の子供は、生きていたらディアッカと同じ歳になっていた。そして、彼がエアリスと愛を語り合ったのもまた同じ歳だ。
「私とおまえはもう逢えないけれど・・・彼らは違う」
生者は生きているかぎり死者には逢えない。だが、あの青年とその恋人はこの世にいるのだ。
「どんな試練が彼らを引き離しても・・・生きてさえいればまた再会出来るものさ・・・」
支配人は戸棚からワイングラスを2つ取り出すと、ワインのコルク栓を抜く。
コポコポと音をたてながらくすんだ赤い液体がグラスの中を満たす。
「なあ、エアリス。人間はいつの世も愚かだが、それでも未来は続いていくんだ・・・」
支配人はグラスのひとつをエアリスの写真の前に掲げた。
「さあ、乾杯しよう!あの青年と恋人のために・・・」
「そして人類の未来のために・・・」
───カチ・・・ン。
未来を紡ぐふたりには距離などはきっと関係ない。
遠距離恋愛が崩れていくのは・・・ふたりの『気持ち』が離れて『距離』を作ってしまうからだ。
未来を紡ぐものが『愛情』ならば、距離を隔てるのもまた離れていく『愛情』なのである。
忘れてはいけない。
『愛情』とて不変のものではない。
お互いがお互いを信頼し、愛情を育み、紡いでいくその努力無くして『愛情』が『愛』になど、なりはしない。
そうとも。努力無くして・・・決して『愛』は育たないということを・・・。
───私たちは忘れてはいけない。
(2006.3.29) (2006.4.7 改稿・加筆) 空
※ これはディアッカの誕生日にUPするはずのお話でした。
ふたりの結末は故意に省きました。なにしろ、あの強引なディアッカさんですから『今更何を・・・!』ということですね(笑)
もう一度話し合って、イクところにイッちゃえばきっと、どうにかなるでしょう!(無・責・任)
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