また、ディアッカが倒れた。
AAに乗艦しているただひとりのコーディネイターとして、あいつの秀でた能力は、もう必要不可欠なものになってしまっている。
でも・・・。正直私は心配でならない。
あいつはいつも笑っている。ちょっと軽薄な感じでクククと口の端を持ち上げて、長い睫を少しだけ伏せて。
そんな陽気で軽い表情の裏で、気が付けば・・・あいつの眼はいつも私を見つめている。
何も言わずに、ただ黙って遠くから私の行動を追っている。
あの眼に映る私。心の奥深くまで覗き込まれているような、そんな錯覚すら覚えてしまう。
私のごまかしや嘘など、きっと簡単に見破られてしまうに違いない。
なのに、あいつは自分のことになると、ヒラリヒラリと身をかわし、決して心の内を見せようとはしない。
そんな男に好意を寄せられ、その艶やか声で想いを告げられても、どう応えればいいのか・・・今の私には難しい。
そして、あいつはいつも無理ばかりしている。
お願いだから・・・そんな顔をしないで。こんなときに軽薄に笑わないで。
そうすればもっと・・・私はあいつに優しくなれそうな、そんな気がするから。
扉の陰 (媚薬と呼ばれるモノ:side 「M」)
───とてもいい匂いがする。
何だっけ?このコロンの名前。
そう・・・確か『オランジェ』っていう名前だった・・・。
プラント製のオーダーコロンだというディアッカの愛用品。すっきりとしたオレンジの香り。
なんのかんの言ったってあいつの趣味はすごくいい。どんなにすれっからしで斜に構えていても育ちの良さは隠せない。
・・・それよりもなんだか温かくて気持ちがいい。
音が聴こえる。トクントクンと規則正しい・・・これって心音?
「心音!?」
私は慌てて飛び起きた。
「ああ・・・ミリアリア。眼が覚めた?」
私の隣で艶やかな声がした。この声は・・・。
おそるおそる声のする方に目線を走らせると裸のディアッカがパチリとウインクをして私の顔を眺めている。
見渡せばここは見慣れたディアッカの部屋で・・・奴は裸で・・・裸!?
私は慌てて自分の着衣を確認した。大丈夫!ちゃんとTシャツ着てる!
でも、ほっとしたのも束の間で、ここでまた新たな疑問が再浮上。ちょっと待って!
「ディ、ディアッカ!?・・・なんで!どうして私あんたの隣なんかで寝てるのよっ!」
「あれ?憶えてないの?おまえ。自分からオレの横にもぐり込んできたんだぜ?寒いとかなんとか言ってさ」
「・・・寒いってそんなバカな事ある訳無いじゃないのっ!」
こんな空調設備の整った士官居住区で寒い事なんか考えられない。スイッチでも切らない限り。
「ま、落ち着けよ。こうなった以上、ちゃんと責任取りますって。だからシャワーでも浴びてくれば?そのままじゃ部屋に戻れないだろ?」
「責任って・・・。まさかとは思うけれど私・・・あんたと・・・?」
そんな私の顔を見てディアッカはニヤリと笑って言った。
「そう、無期限のツケにしといた例の演奏料ね。確かに頂きましたよ!何?領収証欲しい?」
それを聞いて私の頭の中は燃え尽きた灰のように真っ白になった。
───演奏料。
そんな・・・それって私、こいつと寝たって事なの?
確かにこいつは裸で、私は・・私の軍服はベッドの下に散らばっている。ソックスも脱いでる。Tシャツは着ているけれどブラはしていないし、下はショーツ1枚の姿で生足だし・・・。
「可愛かったぜ〜!もっと強く抱いてくれなきゃ嫌っ!とか言ってしがみ付いてくるんだもんなぁ〜!」
「嘘・・・」
「さ〜てね?でもオレは裸でさ?おまえのその格好はどう説明するのかねぇ〜」
「でも!あんたは具合が悪くて寝込んでいた筈じゃない!そんなこと・・・出来る訳がない・・・」
「言っただろ?2時間も眠れば動けるからって!だもん。ソンナコトだってアンナコトだってOKよ?」
そう言うディアッカの言葉に、私は昨日の出来事を追った。
倒れたディアッカのことはフラガ少佐とマードックさんが部屋まで運んでくれて、私とノイマンさんは彼の部屋で看護の準備をしていた。
そして・・・その後。私は・・・そう。私は少佐達を部屋に返したのだった。
何故ならディアッカの看護は私ひとりで充分だったし、無理をさせない為にも彼の傍にいるべきだと思ったからだ。
彼の様子はどこか掴みどころがなくて、少しタレ気味の眼は一層伏目勝ちで、長い睫が影を作った。。
オールバックの金髪も崩れて額に掛かっていて・・・その雰囲気はいつもの大人びたディアッカではないみたいで・・・私は・・・。
少しの間、彼に見惚れていた。
ディアッカ特有のちょっと狡猾そうな笑いもなくて、ただただ微笑むばかりの彼は息を呑むほどに綺麗だった。
一通りの手当てが済んだ後、彼は私に紅いビンに入った液体を勧めた。
栄養剤だと言われたそれを飲んでから・・・。そしてそれから。・・・それから?
私にはそれから後の記憶が無い。
「ディアッカ。私が飲んだあの薬は・・・栄養剤だったのよね?」
どす黒い不安がどんどん私の心を塗りつぶしてゆく。あれは本当に栄養剤だったの?
ディアッカはクククと口の端を上げ、いつものように笑って言った。
「ん〜とさ?実はアレね、本当は睡眠薬だったとしたら、おまえどうする?」
「・・・睡眠薬?」
「そ。それも即効性の強いやつね」
ディアッカは裸の上半身を気だるそうに起こして、髪をかき上げている。その仕草を見て私は確信した。
「そう・・・。あれが睡眠薬だったなら、私はあんたとはきっと何も無かったに違いないわ」
ディアッカの眼を見据えて私は言った。
「・・・どうしてそう言える?」
先程までの軽薄な笑いは影を潜め、ディアッカはニコリともしない。
「あんたは眠っている女に手を出すような・・・そんな卑劣なことはしないわ」
「なんでそう言いきれるの?」
「あんたがそんな卑劣な奴だったなら・・・」
「だったなら?」
「私はとっくの昔にあんたのものにされているわ・・・」
───思ったよりも信用されてんのね?オレ。
ディアッカは両手を挙げて降参のポーズを取った。
「ま、好きに取っていいよ。それよりマジでおまえシャワー浴びて来い・・・」
「・・・どうして?」
クスリと笑ってディアッカは溜息混じりにサラリと言った。
「オランジェの残り香はさ?あらぬ誤解を生むもんだぜ」
(・・・・・・!)
私の顔は一気に紅くなった。そしてディアッカと私の間には何も無かったとまでは言えないことに気づかされてしまった。
「オレたちが抱き合って眠っていたのは事実だからさ・・・なぁ?」
私は急いで脱ぎ散らかされた軍服を拾い集め、逃げる様に浴室へと入り込み、扉を閉めた。
(ふう・・・)
カチャり・・・と鍵を掛けて大きく息をひとつ吐き出す。
鏡に自分の姿を映してみれば・・・まだ頬の辺りが紅かった。
ああ、そうだった。
私は、ディアッカに抱かれて眠ったことが幾度となくあった事実を思い浮かべていた。
あの腕はいつも私を安心させてくれる。
大切に包み込んで護ってくれる。
熱いシャワーを浴びて「オランジェ」の香りを洗い流す。
何度も何度もタオルで拭いた。もう「オランジェ」の香りはしないのだと解っているのに。
・・・でも。あの温もりは消せない。
あの力強い腕も、耳元で囁く声も、豪奢な金髪と黒紫の瞳も。
すべて私の記憶からは消せない。
頬と額にひとつづつ受ける口付けの感触とほのかな熱も・・・。
扉の向こうにいるディアッカとふたり。幾度と無く一緒に眠った。
絶対に愛してなんかいない男とふたりきりで・・・。
───そして私はもう気が付いている。
扉の向こうにいる彼が少しづつ・・・ほんの少しづつ私との距離を狭めているということを。
そうしたら・・・逃げればいい。
逃げればいい。ただそれだけのこと。
ちゃんと解っているわ!私はあいつのことなんてこれっぽちも思っちゃいない。
なのに・・・。
なのに私は扉の向こうにいるディアッカの陰に怯えている・・・。
ゆっくりと私に近づいてくるあいつが・・・怖い・・・。
私は・・・もう。そんな自分に気が付いている。
───ディアッカが・・・怖い。なのに眼が離せない・・・。
(2006.3.27) 空
※どうでもいい奴のことなんて別に何ともないのです。
それを解っているディアッカは怖いです。
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