鈴の音が響く。

それは、しゃらん・・・、しゃらんと大地に降り注ぐかのようにもとれる規則正しい音色であり、更に空からは薄紅の桜の花びらがひらひらと舞う。
清浄な空気に満たされたその場所がいったいどこであるのかディアッカには解からなかったが、ただひとつ、生者の住まう場所ではないことだけは不思議と頭で理解していた。

仰向けに寝そべったまま、ディアッカは腕を伸ばし、桜の花びらを掴んでみた。
だが、桜の花びらだと思ったそれは雪のそれで、掴んだ途端ディアッカの手のひらの熱ですっと融けて消えてしまった。
やがて花びら雪はディアッカの額や頬に落ちて新たな雫となり、ディアッカの顔をそっと撫でて落ちてゆく。
冷たいはずの雫だというのに、とても温かいのは何故だろうとディアッカは思う。

花びら雪が肌に触れる度に奇妙な感覚がディアッカを包む。

(・・・ああ・・・オレが融けているんだ・・・)

花びら雪が冷たいのではなく、自分自身が氷のように冷たいのだとようやく気付く。






ガブリエル(5) 最終話






どれくらい時間が過ぎたのだろう。
ふと、眼を開ければ視界全体が柔和なクリームで覆われる。

(ここは・・・どこだ?)

現状を把握できないままディアッカは身体を起こそうとするが、左腕に違和感と重み。
怪訝な表情を浮かべながら左腕に視線を投げると、そこには小さな栗色の頭がちょこんと乗っているのが見えた。

(まさか・・・)

見覚えがあった。

何度も胸に抱いて眠った少女の髪の色を、そして匂いを忘れはしない。

反対側の手でそっと栗色の髪を撫で上げると小さな頭がピクリと動いてディアッカを慌てさせる。




「やあ・・・気がついた・・・?」

不意に少年と思しき声がして、ディアッカはそちらを見ようと身体を起こしかけたのだが、声の主はディアッカの肩をそっと押しもどすと、そのままベッドの脇にあった椅子に腰を下ろした。

「よかった・・・。軍医の先生は大丈夫だと言っていたけど、1週間も意識不明じゃ流石にみんな心配するよ・・・」

そう言って微笑む少年の顔をディアッカはマジマジと見つめたのだが、こんな少年の顔は記憶の隅にも浮かんでは来ない。

「おまえ・・・誰?。それにここはいったいどこなんだよ・・・」

自分の置かれている状況がディアッカには呑み込めず、少し声を荒げてしまうと、少年は慌ててディアッカを制した。

「だめだよ。君が大声を上げるとミリィが起きてしまうから・・・」

「・・・・・・」

ディアッカは気まずそうに少年の言葉には従がったものの、上体をゆっくりと起こす行動はやめなかった。
そんなディアッカの状態を凝視し、半ば呆れ顔で少年は笑った。

「本当に凄い回復力なんだね・・・。アスランやイザークさん・・・。デュエルに乗ってる君の友達が『こいつは身体能力を特化されているから命に別状がないなら回復するのは容易いだろう』って教えてくれたんだけれど・・・こうして見てるとビックリしちゃうね」

「アスラン・・・それにイザークって・・・どういうことなんだ?」

鋭い眼光を少年に向けたまま、ディアッカは尚も食い下がる。

「あ、ちゃんと説明しないと解からないよね?ごめんね。僕はキラ・ヤマトといいます。ここはAA・・・君たちが「足つき」と呼んでいた艦の中。君はバスターから投げ出されたところをデュエルに救助されて運ばれてきたんだ」

「足つきの中・・・」

「うん。意識の無い君はこのまま動かさないほうがいいだろうってことになってね」

「・・・・・・」

そう聞かされてディアッカは暫し項垂れていたが、ふと目の前の少年が名乗った名前に聞き覚えがあることを思い出す。

「おまえ・・・そうかおまえがキラっていうのか・・・」

「知ってるの?僕の名前」

「そこで眠っている奴がね・・・。よく話してくれたんだよ。『私には大切なコーディネイターの友達がいましたよ』ってね。おまえのことさ?キラ」

「ミリィが?」

「ああ。命がけで自分達を守ってくれた大事な仲間だったってね・・・オマエのことをそう言ってたよ」

ともすれば卑屈になってしまいそうな言葉を呑み込みディアッカはキラにそれだけを告げた。
目の前の少年は、キラは自らの命を盾にして仲間をずっと守ってきたのだ。それに比べていったい自分は何をしたか。
捕虜になった少女に関係を強いて、自分の都合で弄び、ずっと悲しい目にあわせてきただけではないのか。
ディアッカは自分に思いを寄せていたのだという少女の心などこれっぽちも解かってやらなかった己の狭量を責めた。

「こいつは・・・ようやくお前たちの許に戻れたっつー訳ね?労わってやって?ずっと酷い目に遭ってきたんだから」

傍らで眠り続けているミリアリアの頭をそっと撫でてディアッカは寂しげに笑った。





「だったら君も・・・。ディアッカも僕たちの大切な仲間だよね・・・」





誰が?と言わんばかりのディアッカの表情にキラは更に言葉を続けた。

「だってそうでしょう?君は命を懸けてAAを・・・僕の大切な仲間を守ってくれたんだから・・・」











**********




───CE71年12月。

戦争終結から3ヶ月が過ぎたある日、ディアッカはカーペンタリア郊外に向けて車を走らせていた。

空はどこまでも蒼く、風は雲を絶え間なく運ぶ。

「あのぅ・・・どこまで行くのですか・・・?」

助手席に乗った少女が不安げにそう訊ねると、ディアッカは「着けば解かるさ」とだけ言葉を返し、ただただ静かに微笑んでいる。
この日の為に少女にあつらえた水色のワンピースは丈も短く、白いほっそりとした足がとても悩ましくディアッカを誘う。
少女の足元を飾る靴は10センチはあろうかと思われるピンヒールで、これを見た者は皆一様に『歩けるのか?』と少女を心配しただろう。

やがて車は広大な駐車場の一角に止まり、ディアッカは先に車から降りると、そっと少女の手を取った。

「歩ける?」

「・・・・・・」

ディアッカは憮然とした表情を崩さないの少女の頬にキスをひとつ軽く落とすと、その肩を抱いてゆっくりと歩き始めた。
こんなピンヒール、傍らの少女にはこれまできっと無縁だったに違いない。いかにも歩き辛そうだ。
5分も歩いただろうか。やがて大きなアーケードが視界に映る。見ればそこには『プレイランド』と大きく記された看板があり、少女はここが何処であるのかをようやく知ることが出来た。

「あの時約束しただろう?また連れて行ってやるって。どう?何かご感想は?」

「・・・・・・」

「ねえミリアリア?何か言ってよ」

ディアッカは強引にミリアリアと呼んだ少女の肩を引くと、「きゃっ」という声とともにバランスを崩してミリアリアはディアッカの胸に身体を預ける格好となった。

「あ・・・」

ミリアリアはディアッカの懐に硬いものを認めるとピクリと身体を震わせた。
その緊張を己の身体で受け止めてディアッカはミリアリアにそっと囁く。

「もう・・・おまえを撃つ為の銃は無いよ・・・」






一般客に混ざってアーケードをくぐり抜けると、見覚えのある景色がミリアリアを優しく包んでくれた。
周囲を見渡せばやたらカップルが多いようで、どの顔も明るく嬉しそうだ。
強引に、だがそつなくミリアリアをエスコートするディアッカの足がふと止まった。

「VIPで乗り込むとまたおまえは心配しちまうだろうからなぁ・・・だから今日は一般でね?」

立ち止まったそこは見覚えのあるコアラブース。

陽気で闊達なディアッカを前ににミリアリアは耳たぶまで赤くなった。

「おや?お嬢さんは前にもここに来た事がありませんか?」

そう言ってにこやかに笑う飼育係はミリアリアにそっとコアラを抱かせてくれた。
コアラはあの日と同じようにミリアリアの頬をペロリと舐めるとプックリとした重みや熱を伝え始める。

ディアッカはそんなミリアリアをじっと・・・ただじっと見つめていた。

先刻ミリアリアが触れた自分の胸元にディアッカは静かに自分の手のひらを重ねた。
硬い物に触れる。この硬いものが何であるのかをミリアリアはまだ知らない。
同時にディアッカはクスクスと笑うキラの顔を思い出す。忌々しい!一生の不覚とはまさにこんなことをさすのだろう。



退院も間近に迫ったある日、誰もいないAAの病室でディアッカはキラからこの硬いものを渡された。

「これ・・・ミリィの懐中時計でしょう?何故か君のパイロットスーツから出てきたんだよね。どうして?」

いたずらっ子が何かまた新しい悪戯を思いついたかのようなキラの笑顔にディアッカは思わず身を乗り出して懐中時計を奪おうとした。

「こっちに寄こせよっ!」

頬を赤らめてうろたえるディアッカにキラは更なる追い討ちをかける。

「ごめんね?僕、事情が解からなかったからさ?その・・・中を見てしまったんだ・・・」

「・・・見たのかよ」

「うん。悪気はなかったんだから許してよね?」

「・・・おまえなあ・・・」

「それともうひとつ。ミリィはその時計を・・・君が今だに持っていることなんかぜーんぜん知らないから・・・上手くやってね?」

「このことは・・・他に誰が知ってんだよ?」

「うーん。僕とサイとフラガ少佐の3人だけだと思うけれどね」

「なあ、解かってるとは思うがこのことはあいつに言うんじゃないぞ・・・」

「やだなあ。もっと僕のこと信用してよ」

「出来るかよっ!畜生!」





そうして時計は今もディアッカの胸にある。
傍らの少女は、ミリアリアはまだそのことを知らない。
密やかな少女の思いをどうやって受け止めようかとディアッカはずっと思い悩んでいる。
この手紙は本当にミリアリアが書いたものなのだろうか?あの頃は彼女も異常な環境に置かれていただろうから、ディアッカへの思いを恋だと勘違いしていただけなのかもしれない。不安が募る。


やはり退院が迫ったある日、イザークが仏頂面でディアッカに話したことは本当だろうか。
バスターが粉々に砕け散った後、狂ったような少女の声が飛び込んできたということだが。

「お願い!誰かディアッカを助けて!誰かっ!誰かっ!!」

少女の必死の訴えに気がつけばイザークはデュエルでバスターの救出に向かっていたのだという。
コクピットから上を吹き飛ばされたおかげでディアッカは九死に一生を得たらしく、ノーマルスーツ姿で漂うディアッカを少女の訴えどおりにAAに運んだあと、ミリアリアはその場で泣き崩れたと聞かされ、これには流石のディアッカも赤面することとなった。

そして、戦争が終わってからずっと・・・1週間もの間、ミリアリアはずっとディアッカの傍を離れなかったことも聞かされた。



本当だろうか。

ミリアリアがそこまで自分に尽くしてくれたのは本当だろうか。







───その時計をどうするかは君の勝手だけれどね?

でもね、これだけは覚えていて。ミリィを泣かせたら僕は君を許さないからね?

温和な物腰の少年だと思ったキラが、実は燃え滾る炎のような激しい感情の主であることが容易に知れた場面でもあった。

停戦後、ディアッカがずっとミリアリアの身体に触れられなかったのはキラに釘を刺されたせいもあっただろうが、同時にもう軽々しく触れてはいけないこともディアッカはちゃんと自覚していた。
だって彼女はもう捕虜ではないのだから。

入院中世話になった礼だと言って水色のワンピースを贈り、デートに誘った。
膝上20センチのスカートの丈と10センチのピンヒールに込められた下心に彼女は気付いていないだろうか。
ジャケットに忍ばせた手が金属製のキーに触れる。
帰りの予定はたてていない。

こんなピンヒールの靴を履いたままではミリアリアは走れない。大丈夫。逃げてもすぐに追いつける。

今度こそスイートに泊まって・・・ふたりで綺麗な夜景を眺めよう。
この際だからアルコールの力を借りてもいい。何事もムードが大切だ。



「うわぁ・・・!ほら見てくださいこの仔すっごく可愛いですよ!」

コアラを抱いたミリアリアが満面の笑みをディアッカに向けた。



何よりも望んだミリアリアの笑顔にディアッカは慌てて言葉を紡ぐ。


「あ、あのさ・・・」















何者も顧みず、凍りついてしまったディアッカの心は、ある日ミリアリアという捕虜になった少女に触れた。
温かい熱を伝える彼女にディアッカはゆっくりと融けて水になった。
総ての生きとし生けるものを司るは水。

水になったディアッカの心に何かが生まれた。

たとえそれがまだ恋とは呼べないものであったにしろ、少女に寄せる思いはディアッカを更に融かしてゆく。

こんな感情をディアッカは知らない。





氷が熱をもった。





自らを融かし、形を変えつつあるディアッカがどうなるかなんてまだ今はわからない。




だが、結局未来を紡ぐのは自分自身の想いがあってこそなのだと・・・。

そのことにディアッカが気付くのにはもうそんなに時間を必要としない筈だ。

出会いが重要なのではなく、その出会いを育ててこそきっと総ては明日に繋がる。





まずは彼女に伝えよう。





君が好きだと。

ずっとずっと逢いたかったのだと。

そして笑顔がみたかったのだと。

だから自分に微笑みかけて欲しいのだと。






まずは彼女に伝えよう。





そうすればきっと何かが始まる。





まずは彼女に伝えよう。
















                     そして氷は熱をもった。








                                                                   <了>


     2007.2.16 空(Qoo3)

     ※ 1年2ヶ月以上に渡り、ご支援くださいまして本当にありがとうございました。
        心より御礼申し上げます。